言語の作り方の流れ



まず、作りたい言語の型を決めます。実用目的であるなら前述の点に注意しつつ、言語のシステムを作ります
言語を作るときは頭の中で考えるにせよ紙に書くにせよ日本語を使うと思いますが、それで構いません
英語だと後々広めるときに便利ですが、母語で作成した方がやりやすいです

音、文字、文法など、言語の骨組みができたら、今度はそれを表わすための例文を作ります
したがって、最低限の語彙が必要になります

次に、現状までの言語の骨組みと語彙をメモなどにまとめておきます
文字が独自の場合、フォントがないので手書きで自分文字を書きます
ただ、自分文字をアルファベットに転写できるなら、転写してPCに入れておくのもいいでしょう

それから暫くは身の回りのことをその言語で喋れる程度にするために単語を拡充します
始めのうちはそれこそ目に入った日常的なモノの名と、基本的な動詞や形容詞だけでいいです
そうするうちに文法の不備が見つかり、改定する必要がでてくるでしょう
逆に文法を直したとき、必要となる単語が出てきて、それによってまた単語が増えるということもあります

日常的なことがいえるようになってきたらそれなりの語数を持つことになりますので、辞書を作成します
それまではワードやメモ帳やエクセルに入れておいたデータで辞書代わりになりますが、
ここからは辞書ソフトを探して使ったほうがいいでしょう
尚、紙の辞書は編集が不便なので薦めません。自然言語の場合は語義がころころ変わることはありませんが、
人工言語の場合、作成過程でころころ変わります。新語の挿入も多いです。紙の辞書は不都合です

辞書を作ると、「どうもこれだけでは語彙が少ないのでは?」と感じます。その不安が起これば正しいです
確かに現状では語彙は少ないです。なにせ日常を表わすだけですからね

また、語彙はある程度できたが、それを実践するときの語法やコロケーションが日本語や英語の盗用というのも往々にしてあります
普及型はそれでも許されますが、それ以外の場合、そのままではいけません
基本語ができたなら、今度は基本語の表わす範囲や語法やコロケーションを決めねばなりません
たとえば「手」はhandだけでなくarmを表わす場合もありますが、その言語での「手」はどの範囲を指すのか、など
他にも、傘をさすの「さす」は何と言えばいいかといったコロケーションも作らねばなりません

この点、殆どの人工言語は非常に弱いです。辞書があっても単語帳的ですから
仮に英語を我々が全く知らず、辞書を引いても人工言語のHPのように単語帳的だったとしましょう
傘を引けばアンブレラと出てくる。じゃあ「傘をさす」って何ていうんだろうと思うが、コロケーションは載っていない
そこで「さす」を引くとスティックと出てきたのでstick an umbrellaが正しいと行き着く
これでいくと同じく「辞書を引く」はpull a dictionaryですか
よく習った英語だからすぐ傘はopenを使うんだなんて分かりますが、これが人工言語なら?

語が書いてあっても語法やコロケーションが載っていないかぎり、こんな間違いを平気でしますよね
語法やコロケーションを母語に合わせて良いなんて人工言語の作者がいったら、
日本人は本当にstick an umbrellaって言いかねません。ですが、これ、間違いなくアメリカ人には通じません
だから語法やコロケーションはしっかり作らねばなりません

また、辞書にできるだけ多くの用例を登録しておきましょう。用例があると、コロケーションと語法を同時に知ることができます

それが終わったら、今度は翻訳に入ります。何語のどのジャンルを訳してもいいですが、日記や日常を描いた小説などがとっつきやすいでしょう
あまり突拍子もないSFは滅多に使わない単語を作る羽目になるので相応しくないです。ワープとかね
また、学術論文は術語を作らなければならなくなるので、ひとまず避けてください

翻訳をやっているうちに自然と足りない語に出くわします。そこで、そのつど新語を作って辞書に加えていきます
翻訳は色んなジャンルを色んな作者でやったほうがいいです
同じ作者だと表現が似ているので、語が増えづらいからです

翻訳もできるようになったら、今度は自分で自言語を使って執筆します
それと同時に仲間がいれば会話の練習もします。小説で会話表現は随分習熟したはずなので、これは実際の運用練習になります

会話ができるようになり、自分で文章を書けるようになれば、完全に軌道に乗っています
後は専門分野を訳したり書いたりして、語彙を日々拡充していきます
このとき、単語のみならず、成句も増やしていくと良いでしょう

ここまでくると非言語についても細かく決める必要があります
個々のジェスチャーが独自ですから、それも決めなくてはなりません
そうして非言語も完成させて、そこで初めて人工言語はひとまず完成します

尚、人工言語を作る前に人工風土と人工文化をある程度設定しておいたほうがいいです
かといって初手から全て細かく作る必要はありません
ある程度作ったら、人工文化と人工風土は人工言語と平行して補完していきます
ただ、風土については始めからなるべく細かく決めておいたほうが無難です
後から修正が効きづらく、そのくせ修正すると文化や言語まで修正する羽目になり、作業が大変だからです

次に、いつ言語を発表するかですが、普及型でないなら発表は勿論義務ではありません
発表したいならできるだけ完成に近づいてから発表するのがいいと思いますが、
人の力を借りたい場合、ある程度形ができてから有志を募るといいでしょう
あまりにお粗末な出来では有志は来ませんので

また、普及型の場合、比較的早め、たとえば翻訳をやるくだりでHPなどにして公開して構わないでしょう
ネットを通じて得られる情報があるかもしれませんし、有志を早くから募ることができるからです


#以下は少し専門用語が混じるので、読み飛ばして構いません。

人工言語作成の過程は言語学の潮流に似ている。
古めかしい分け方だが、生成と認知を2大派閥とすると、言語学は生成から認知に流れてきた。
一昔前は生成一色に近かったが、最近は認知がトレンドになってきている。

生成は主に文法を扱う。
パラメータ理論のころが最も言語類型論や言語普遍性と距離が近く、人工言語作成に有益だった。
人工言語の作者はまず文法から作るものだ。語彙や語法から拡充させることはないだろう。
したがって生成を学んで――特に言語普遍性と言語類型論を学んで――文法作りに役立てると良い。

参考文献
B・コムリー(1992)『言語普遍性と言語類型論』ひつじ書房
C・アジェージュ(1990)『言語構造と普遍性』白水社

これらは文法を作る際に非常に役立つ。一通り読んでおけば様々なタイプの言語を構築することができるだろう。
コムリーの特に語順に関しては異論がある。HPでは彼の理論に反した内容を書いている。
本が全て正しいわけではない。しかし読者は基本的に本を信用すべきだ。何せ出版社が目を通しているのだから。

言語学関連の文献に人工言語が登場することはまずない。当然、言語の作者にとって言語学の大半の本は役に立たない。
本に書いてあるデータを流用して役立たせる以外、我々にとって言語学書に価値はない。

ところが中には人工言語について触れている本もある。実はこのコムリーがそうだ。
コムリーは何度か人工言語という言葉を用いている。ただし、エスペラントなどを挙げはしない。研究型として挙げているだけだ。
概して人工言語を口にする本は作者にとって有益だ。というのも言語作りに直結した情報をくれるからだ。

基本的に人工言語に近い分野の本を読むと、効率良くデータを得られる。
人というのは繋がっているもので、人工言語とその近辺の分野の著者・訳者を見ると面白いことが分かる。

アジェージュの訳者は東郷雄二だが、氏は人工言語についてコラムを「言語」に載せている。
人工言語と言語の構造・普遍性が近縁だという証拠だ。
更にアジェージュは『言語の夢想者』を書いたMヤグェーロと関連がある。

こういう人間同士の繋がりを知っておくと、本を選ぶ際に役立つ。
言語学書は大抵高い。1冊5000円とかザラだ。そのくせ言語の作者にとって有益となるデータは端々にしか現われない。
したがってたくさんの言語学の分野の本を買うハメになる。読者は大学生前後が多いだろうから、経済的な障害が付きまとう。
そこで、効率の良いデータ探しが重要視される。

さて、そうして生成を学んで文法を作ったら言語の骨子はできあがる。
だが語彙や語法がなければ言語とは呼べない。生成はこの時点で限界だ。
語法や語義を決めるには人間が概念をどう捉えているかとか、比喩能力をどう言語の経済性に結び付けているかなどを知る必要がある。
そうなると生成は用済みで、認知に周ることになる。

こうしてみると将に言語学が歩んできた潮流を模倣しているかのようで面白い。
言語学の潮流が言語作成の手順に合致するのは偶然だろうか。
いや、私は言語学者も自然言語を分析する際、言語の作者と同じようにまずは言語の骨子が目に入ったのではないかと思う。
そうして先に文法が研究され、言語の骨子が分かるにつれて他の分野の問題が目に入ってきたのだろう。
大きな言語学の潮流を見ていると、そう思わざるをえない。群小な分野では逆の流れもあったけど。

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