黎明期(1)



 人工言語は言語の一種であるから音韻・文法・語彙・文字・非言語を持っている。ただ自然言語に文字を欠くものがあるように、これらの要素が全て揃っているとは限らない。これらの要素を全て持っていれば申し分ないが、実際には一部を欠くことがある。

 現在使われている自然言語のうち「音韻はないが文法はある」などといったものは考えられないが、人工言語の場合どの要素が欠けてもよい。たとえば話すことを一切考慮せず、文字と語彙と文法しか決めない言語も考えられる。このような言語は決して絵空事ではない。文字と語彙と文法だけを決め、単語に音価を当てない。音価がなければ音韻を定める必要もない。では読むときはどう読めばいいのか。読み手のそれぞれの母語で読めばよい。この手の人工言語は4世紀も前から存在していた。そしてそれは必ず表意文字か語意を表す数字を持っていた。音韻がない以上、表音文字にはできないからである。

 自然言語と異なり、人工言語は一見無作為に要素を欠いているように見える。だが実際そうとは限らない。人工言語がどの要素を欠くかを観察していけば、なぜ欠けるのかという理由が見えてくる。更にそれを逆用すると人工言語はどのように発展して現在の形に落ち着いたのかを見ることができる。上の5要素を全て持っている申し分ない人工言語に至るまでにどのような欠損を持った人工言語の雛が存在していたか。また原初的な人工言語とはどのようなものであったか。

 まず最も原初的な人工言語とは何であろうか。それは意外にも現存するような欠損のない人工言語に極めて近い後験的なものである。最初の人工言語は暗号である。本論ではまとめて暗号型と呼んでいるが、他所では暗号言語や秘密言語などとも呼ばれている。

 暗号としての人工言語は古代エジプトやローマにも見つけることができる。最古の暗号は古代エジプトの石碑に刻まれたヒエログリフとされており、これは紀元前1900年ほど前のことである。この暗号を人工言語に含めると、人工言語の起源は少なくとも約4000年ほど前まで遡ることができる。一方、人類最初の文字はメソポタミア地方チグリス=ユーフラテス下流のもので、これは5000年ほど前に遡る。意外にも暗号としての人工文字は早くから存在していたことになる。

 人工言語はその産声を上げたときから長い間もっぱら暗号として機能していた。およそこの頃は「人工言語=暗号」であったといっても差し支えない。暗号としての人工言語は資料が残されているわけだから少なくとも文字を持っていた。同時にその文字自体が語彙を形成するので語彙も持っていた。古代人がそれを口で読んでいたかどうかは分からないが、もし読んでいたなら音韻も備えていたことになる。

 ヒエログリフにおいて最も意識されることはそれが文字であるという事実である。原初の人工言語が暗号と同義であるならば、文字が人工言語の黎明に大きく関与していることになる。そして実際他の例を見ていくと、人工言語において文字がいかに重要な役割を持っていたのかを知ることができる。自然言語において文字を持たない言語が多く存在するため、文字は言語にとって必要条件ではないという低い地位に押しやられている。しかし人工言語では文字が大きな役割を持ち、時には国家まで揺れ動かしてきた。

 たとえば15世紀に李氏朝鮮第四代国王世宗(セジョン)が作った朝鮮文字ハングルは人工文字であり、現在朝鮮半島で実用されている。だがこの人工文字が実用されるまでには相当な歴史的背景があった。

 文字を話題にするのなら更に時代を遡ることができる。紀元前221年には秦の始皇帝が中国を統一し、度量衡とともに漢字を矢継ぎ早に統一した。統一から外れた文字は排斥された。ただしハングルと違ってこれは既存の文字をまとめたという性質が色濃いため、人工文字ひいては人工言語の範疇に入れるのは難しい。しかし国家の手によって人為的に文字が操作された歴史としては取り上げるべきことである。

 ハングルにせよ始皇帝の漢字統一業にせよ、古代エジプトやローマの例とは異なり、暗号でないことが注目に値する。朝鮮では百姓が、中国では人民が使うために作られたものであるという点で暗号とは一線を引く。

 古い人工言語における文字の役割は大きく、特には政治的背景と相まって形成されてきた。尚、このことは音韻や文法を制定するよりも文字を制定するほうが簡単だということにも繋がる。ハングルは確かに人工文字だが、それは朝鮮語を表すためのものでしかない。世宗は朝鮮語の音韻や文法まで作ろうとはしなかった。朝鮮語そのものを変えることは彼の目的には適わなかったし、何よりやろうとしても当時は技術が足りなかった。音韻、更には音声を百姓の間に制定しようとするのは政治的以前に印刷技術や録音技術の乏しい時代では極めて難しいからである。文法を制定するのは音に比べれば容易であるが、それよりも文字のほうが人の手を加えるのに適した素材だった。

 できるできないの話を別としても、音韻や文法に比べて文字のほうが手を加える必要性があった。暗号として使われる文字は字形を変えたほうが見破られにくいので手を加える必要性が大きい。また暗号を欲しがらなかった朝鮮にも文字に手を加える必要性があった。ハングルが作られたのはたとえば漢字の読めない民衆が不当な扱いを受けた際に裁判を申し立てられないなどといった窮状を鑑みた結果である。その他にも作られた理由はいくつもあるが、いずれにせよ朝鮮が欲したのは暗号ではなく理解しやすい実用的な文字であった。そしてそれを得るためには漢字というシステムから脱却する必要があった。尚、このような大きな政治的な動きがスムーズに運ぶことは稀で、実際当時はこの改革に対する反論があった。1442年、世宗配下の漢学者崔萬理がこのような反意を上奏した。

「民百姓が犯罪の容疑をうけたとき、かれらが自分の無罪を主張できないという理由で誣告をうけるという王のおことばは、納得できません。」金(1984)

 ハングルの歴史はこの後、更なる憂き目を見ていくこととなる。いずれにせよこのように古い人工言語にとって人工文字或いは人為的に選ばれた文字が持つ役割は大きく、しばしばそこには政治的・経済的・社会的な背景が関与していた。趣味で作る演出型などと違い、のっぴきならない理由がそこにはあった。

 東洋は歴史的に見れば概ね中国が中心に位置していた。文明は中国(或いはインド)から主に伝播されるものであった。この結果、中国の国字である漢字と東洋(特に東アジア)の人工文字は大きな関わりを持った。

 漢字とは似ても似つかない字形のハングルであるが、これでも水面下では漢字との大きな関与があった。そもそもハングルができたのは国字を持つという朝鮮民族のアイデンティティの問題や上述のような民衆の社会的問題に対処するためである。そしてそれに対する反論も主に当時の宗主国である中国の怒りを恐れたことに起因する。したがって中国及びその国字である漢字と独立してハングルを語ることはできない。つまり人工言語において文字は強い社会的背景を持ち、その背景と切り離せない関係にあるということである。但しエスペラント以降の文字はこのかぎりではない。

 文字の持つ背景は社会的なものだけではない。宗教などの文化或いは民族意識を背景とすることもある。そのような論争はかつて日本にもあった。日本はハングルのような国字を新たに作るようなことはなく仮名文字で和語を表していたが、その日本にも文字論争があった。神代文字である。

 神代文字は日本古来の漢字に依存しない固有の文字とされ、室町時代には少なくとも神道の間で広まっていた。この是非について国学者の本居宣長らが反論をした。神代文字を巡っての議論は平行線を辿った。結果、この議論は時代を下って持ち越された。明治になると神道が主唱する神代文字は偽造であると国語学者の山田孝雄(よしお)は述べた。

 神代文字は現代では一般に言語学の対象よりもむしろ哲学思想の対象としてみなされがちである。この論争の重要な点は、日本は古来から漢字ではない固有の文字を持っていたという主張にある。神代文字自体が重要なのではない。固有の文字を持つことが中国の精神的支配からの脱却であり、日本民族のアイデンティティの確保でもあり、何より神道の思想に沿った。そのことが重要である。この神代文字のように宗教や思想を背景とした文字が確認できる。

 また神代文字にはハングルも似たものがある。阿比留(あひる)文字という。ハングルを真似て作ったのではないかと言われているが、逆にハングルがこれを真似て作られたと主張する者もいる。神代文字は近代現代においてもはや神道よりも日韓の国家関係や民族意識を反映している。

 神代文字が人工文字だとしたら、人工言語における文字は文化・宗教・哲学思想のみならず、民族意識や果ては国家関係までを背景とするといえる。以上から、人工言語において文字がいかに重要な役割を持っていたかが分かった。人工言語における文字は決して暗号を伝えるためだけの機能物質ではなく、その後ろにある様々な背景を暗示するものである。

金両基(1984)『ハングルの世界』中公新書111pp.


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