架空言語・空想言語



 ウィルキンズのような人文系の百科全書的な人工言語がある一方で、ライプニッツのような理数系のコンピュータ的な人工言語が存在した。いずれにせよ哲学的言語であり、普遍言語である。この区別でも厄介なのにましてもってアダムの言語という神秘主義が加わる。しかも全員がアダムの言語を夢想するというのであれば話は早いのだが、事情は入り組んでいて、人によってはそのような神秘主義を否定していた。人工言語学上の分類としては数学的か百科全書的かといったような言語の構造については注目すべきである。一方アダムの言語が意図されたかどうかは動機にすぎないので、致命的に重要というほどではない。勿論動機を知ることでなぜそのような言語に至ったのかを知ることができ、その意味では重要であることを加えておく。

 ところで当時はウィルキンズらのような普及型の人工言語しか存在しなかっただろうか。否。たとえば暗号型は速記文字の開発などの形で行われていた。まして当時は剽窃が多かったため、暗号は必要善であった。他方でこのころの西洋人の世界観の広がりが新たな人工言語を生んだ。演出型である。異邦人の言語に関する興味は古くから存在してたものの、それが爆発的な流行になったのは西洋人の世界観が広がってからのことである。アジア、アフリカ、アメリカなどが発見されるにつれて異邦人の言語や文化が西洋に知られるようになる。旅行者や行商や宣教師から伝え聞いたり、或いは自分自身で見聞したことを基に小説を書く。この中で述べられる異国はしばしば誇張されたり人伝ゆえに空想的なものであった。小説で述べられる言語はしばしば実際のものとは異なっていたし、場合によっては作者はそうと知りつつあえて書いていた節もあった。

 この風潮が広まるにつれて、ジャーナルとしての言語ではなく始めから空想世界の言語というものが考案されるようになった。当時まだ発見されていなかったのはオーストラリアであったから、ここはよく舞台に使われた。また、月やその他の惑星もよく舞台に使われた。知的生命体がいると一部に考えられていたためである。これらの架空言語や架空世界は西洋人の期待や夢から生まれたものであるため、通常は理想言語や理想世界であった。トマス=モアに代表されるようなユートピア思想の一環である。これに当時の普遍言語論争が併行していたため、理想言語は概して簡単な文法を持ちすぐに習得できる言語と捉えられていた。このユートピア思想は19世紀末のブルワー=リットンごろの反ユートピア思想まで優勢であった。

 尚、オーストラリアはアリストテレスやプトレマイオスのころに想像された「南の大陸」であった。これは大航海時代1600年台初頭に発見された。したがってたとえばフォワニーの『アウストラル大陸発見』(1676)のときは厳密にいえば未発見ではない。地理上の発見以前から未知の大陸オーストラリアについての想像は多く行われ、実際に発見されてからもすぐに情報が詳しく伝わるわけではないのでやはり摩訶不思議な世界として考えられてた。ちなみにこれは月も同様で、当時は鳥の渡りの原因が知られておらず、鳥は月に渡るものと考えられていた。そういうわけで月はオーストラリアと同じく未知の世界で、架空言語の格好の舞台であった。他の惑星についても概ね同様である。

 著書『ユートピア』で有名なトマス=モアは理想化された世界の中に理想的な言語をも置いた。理想の世界の言語、言い換えれば想像や架空の中の言語に足を踏み入れた彼は前衛的な存在であった。ただ、彼の創作した架空言語は後験語ではあるものの、基になった言語はギリシャ語などの西洋語であった点に注意する。


 ゴドウィンの『月世界の人』(1638)は小説の中で自言語を展開している。大きな普遍言語論争の渦中であったため、演出型とはいえ、彼もまた哲学言語を構想していた。そのためこれを完全な演出型と述べることはできないが、大まかに分類するのなら演出型であろう。ゴドウィンが中国語から影響を受けていたのは明らかで、実際作中で主人公は中国に赴いている。ここで中国語は音楽的な言語という定義を受けている。そして月世界はというと、ここではたったひとつの普遍言語が使われていた。アダムの言語を彷彿させるユートピアな設定である。月世界の言語は音楽的であり、ここに中国語の影響が見られる。音声においてゴドウィンの言語が中国語を参照言語にしていることは明らかである。しかも主人公は2ヶ月で月の言語を習得している。このことは普遍言語の特徴である「覚えやすさ」を当然のこととして受け入れていることを示唆する。

 シラノ=ド=ベルジュラックもまた月世界の言語を小説で展開している。ゴドウィンと異なるのは唯一の共通語があるというのではなく、社会的地位という位相で言語が二分されているという点である。上流階級はやはり中国語を意識した音楽的な言語を話し、下層階級は身振りの多い言語を用いている。

 身振り言語をどう見るかというのはこのころ人によって異なっていた。たとえば『セヴァランブ族物語』(1677) の著者ドニ=ド=ヴェラスは身振り言語について否定的である。そのヴェラスのセヴァランブ語であるが、これは意外にもエスペラントの走りともいえる言語である。というのも、自然言語から論理的であると考えられた要素を寄り集めている後験語だからである。ただ論理的過ぎてしばしば格変化などの文法システムはむしろ自然言語より細分化されている。かといってそれを一々覚える必要はなく、規則に基づいて推測可能である。

 エスペラントと異なるのは自然を強く意識し、その性質を言語システムに取り入れている点である。存在を有生・無生ならびにオス・メスに分け、その区別は動詞にまで及んでいる。つまり主語が有生であるか無生であるかによって動詞が異なった屈折をするということである。したがって「石が憎む」というような恐らく考えられない文においても「憎む」は一々無生用の変化をするということである。憎むのように有生しかできなさそうなものであってもこの屈折は及ぶので、動詞の活用形の総数は悪戯に増える。尚、音については母音が10で子音が30である。そこに多重母音が加わる。更に音調などを表す6個の記号が使われた。これらの音素は筆記文字で表された。

 身振り言語について肯定的ではないヴェラスとは対照的に、ガブリエル=フォワニィはむしろ言葉は抽象的なことや難解な議論といったものを表すだけのものとされ、他は身振りで代替するとしていた。それは南方大陸すなわち今日のオーストラリアの言語について執筆した際に明らかになっている。フォワニィは普及型の普遍言語の影響を受けており、概念については分析を元に命名をしていた。たとえば母音は火、空、塩などの単純な要素を与えられた。子音は明るい、熱いなどを与えられた。分析に基づいた文字の組み合わせで単語を表現していた。勿論この過程で発音しづらい単語が算出されることはいうまでもなく、フォワニィの言語は実用的とはいえなかった。語彙については完全に先験語である。また彼は文字も作っており、アルファベットと字形の異なった筆記文字を作っている。

 ティソ=ド=パトは彼らに後続して『ジャック・マセの冒険旅行』(1710)で自言語を展開した。コンセプトは規則性と簡潔性である。音は母音が7種で子音が13種である。文字はアルファベットを使用する。文法はラテン語よりは簡単だが、複合完了や分詞がある点でやはり西洋語が参照言語になっている。パトで特筆すべき点はヴェラス同様自然言語を参照し、それを易しくしたことにある。動機は異なるものの、この点でやはりエスペラントの着想に近い。

 一般的に架空言語の作者は普遍言語の作者ほど厳密ではない。普遍的な完全言語を作るという目的の下では科学的な手法やミスや漏れのない正確さや厳密さが重要視される。記憶術に関連して徹底的な語彙圧縮を行い、習得の容易さを訴える。それに比べて演出型の架空言語や空想言語はそれほど深刻ではないので「簡便なラテン語」などといった着想に至りやすい背景を持っていた。それが原因で、中にはエスペラントに似たものが生まれた。彼らが求めたのは創造性や工夫であり、面白味である。その結果、普遍言語の手法に比べて奇抜なものが出てくる土壌にあった。その点で人工言語学としては興味深い。


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