音韻論・音声



 人工言語学で音声学を立てる必要性はない。調音・音響・聴覚音声学ともに自然言語学のそれと共通するからである。というのも結局のところ人工言語も人間が話すものだからである。尤も架空言語などの演出型において異星人の言語を考察する場合は現在の調音音声学は役に立たない。彼らの口腔や鼻腔や舌といった調音器官が人間とは異なるためである。たとえば唇がなければ両唇音は出せないし、口蓋が物凄く長ければ硬口蓋・軟口蓋といった程度の大雑把な分け方では不十分であろう。舌が2枚あればそり舌音を出しながら歯茎閉鎖音を作ることも可能である。しかし異星人の調音器官のパターンなどいくらでも考えられるためひとつずつ考察していてはきりがない。その上、結局異星人の調音器官を持たない我々がその言語を使うことはできないのだから極めて実践的ではない。

 余談だが、テレビなどのバラエティで火星語なり金星語なりを喋る男(なぜか男。霊媒的な異言現象には女が多いのに)が稀にいる。しかし我々がこのままの姿で火星に行けば死ぬ。この肉体は火星に適応していないからである。したがって火星人は少なくとも我々とは違う姿をしている。ゆえに調音器官も異なる。サルとヒトの調音器官は極めて似ているが、それでもほんの少しの違いのせいで彼らは言語を喋れない。いわんや火星に適応した肉体で調音される言語音を我々人類は調音することはできない。したがってテレビで火星語を喋ることなど調音音声学的に不可能であるし、仮に火星人とやらが聞いたとしてもあまりに下手な発音に苦笑を禁じえないだろう。

 さて音韻論は言語ごとに異なった様相を呈している。人工言語の音韻は自然言語のものと違って大抵単純で規則的である。特に文字が表音文字である場合、1文字1音素の原則が守られるのが基本である。

 そもそも音素というのは音声を切り取ったものである。ある音声というのは言語によって変わることのない物理的なものである。だが同じ音声でもA語とB語の音韻では食い違うかもしれない。A語に/p/と/b/の区別があれば[b]は/b/だと認知されるが、B語に有声・無声の対立がなく/p/しかなければ[b]は/p/と認知されうる。音韻は音声を切り取ったものであり、その切り取り方は言語によって異なる。無論、ある音韻が表す典型的な音声というのは言語ごとに決まっている。同じpの音でもどことなく英語と日本語の発音が異なるのはそこに理由がある。たとえばpは英語では破裂が激しく、日本語では破裂が弱い。paperというとき始めのpを特に強く言わないと英語話者には妙に聞こえる。

 典型的な音声があるということは、非典型的な音声もあるということである。たとえば極めて強い破裂のpも日本語ではpと認知される。更にいえば[r]は弾音でないにも関わらず日本語ではラ行に取られる。人間は母語にない音声は母語にある音韻に無理に当てはめようとするからである。もし該当するものがないほど奇妙な音であれば、かなり戸惑った上で何とか仮名文字を捻出するか、何とも聞こえないと投げ出してしまうだろう。

 そのような奇妙な音を探してIPAなどを見てみるとあることに気が付く。とりあえず表の文字を見て恐らくあの音だろうと察せるものがある反面、何を参考にしたのかさえ分からないような記号がある。IPAでラテンアルファベットを与えられているものは一般的に西洋語で使われやすい音声である。ところが印欧語と系統の異なる日本語の子音を見てみても、概ねラテンアルファベットに入ってしまう。ラ行やファ行などいくつかが特殊な記号になっているものの、後は概ねラテンアルファベットで表現できる。これはどういうことかというと、つまり音声の中にはより人間に使われやすい頻度の高いものがあるということである。

 たとえばp,k,mなどの音は頻度が高く、大抵の言語に存在する。ニューギニア近くのブーゲンビル島にあるロトカス語は音素が11しかないことで有名である。同じく10音素のピラハー語、13音素(声門閉鎖含む)のハワイ語なども存在する。学びやすさを追求した人工言語を作ろうとした者にとっては聞き覚えのある言語ではあるまいか。こういった音素の少ない言語の子音を見てみると、たとえばハワイ語の子音は声門閉鎖を除いてp,k,m,n,w,l,hである。やはりpやmは入っている。このように音素には頻度の高いもの、簡単にいえば人気の高いものがある。また音素数が少ない言語は人気の高い音素を持つ傾向にある。ハワイ語を見てもそうである。この7音がマイナーな接近音やそり舌音ばかりで構成されるような言語はない。

 したがって人工言語でも研究型のような実用を考慮しないものを除いて、このような普遍性を利用して人気の高い音素を選ぶ傾向にある。尚、このような言語学のデータが得られる以前の人工言語はもっぱら西洋語の音素を参考にした。普遍言語時代には特に西洋の音素が当たり前のように用いられてきた。彼らは母語或いは周辺の西洋語の観点からみて発音しづらい音素の組み合わせを排除することには専念したけれども、音素の選択において西洋以外の音素体系を考慮することはあまりなかった。シュライヤーは中国語を意識してrを削除した。だがこのようなことは珍しく、それも普遍言語時代が終わった19世紀末のことである。国際語時代に入ってエスペラントが台頭しても音素はしばしば西洋語中心の選択であった。現在の人工言語はやはり西洋を前提としたものが残っているが、作者の母語や学習言語の音素を参考にしたものが多い。日本人の場合、日本語と英語の折衷といった言語が多い。また現代は言語学のデータを利用できるため、よく使われる音素を選択するといった方法も取られている。

 今までは子音について述べたが、母音はどうか。母音は何を選ぶというより数の問題である。3母音体系ならi,a,uになるのは最も想像されることであり、5母音体系ならi,e,a,o,uが最も典型的である。このように母音には色彩語と同じようなヒエラルキーがあるので、どんなではなくいくつの母音を持つかが重要である。普遍言語時代はやはり西洋語中心で、7,9などといった比較的多めの体系が取られやすかった。現在では言語学のデータから5母音体系が最も多いということが分かっているので、殆ど考えもせず5母音体系を持つ言語が多い。西洋語であるエスペラントでさえ5母音体系である。このように類型論から普遍性が明確に分かっているものについては人工言語はそのまま自己のシステムに取り入れることが多い。奇を衒ったものでもないかぎり今後も5母音体系の人工言語が増えていくだろう。

 人工言語の類型から見れば音韻体系は先験語のほうが自由に作れる。後験語の場合、参照言語の音韻体系に合わせなければ語を流入するのが不可能ではないが面倒になるからである。有声音と無声音の対立がなければpitとbitを英語から流入させた場合、同音異義語になって区別が付かなくなる。したがって後験語は参照言語の音韻体系にある程度拘束される。拘束されずに自由な体系を作った場合、学習者は基の語源が何か分からなくなり、後験性そのものが弱まってしまうので両立はできない。

 尚このことについては音節構造も同じである。音節構造も後験語は拘束されやすい。もし英語を参照しているのに日本語のようなCV音節ばかりだと語を流入する際に困難になる。更に使い勝手も悪くなる。strengthは日本人には信じがたいが1音節であり、その点ではaと変わらない。構造はCCCVCCCである。これを日本語に流入するとストレンクスであるが、6音節にまで跳ね上がっている。しかも音韻は/sutorenkusu/である。母音が至るところに挿入され、長くなっている。こういう不具合を回避するため、後験語は参照言語の音韻体系に拘束されやすい。先験語は自由に作れるので何とでもできる。

 全体的に西洋語の影響が多いため、子音連続を認める人工言語が多い。CVのような単純な音節を持つ言語は少ない。「単純な音節構造を持つ言語」や「CVCが発音できない学習者のためにCVCVのような母音挿入を許す言語」はまず間違いなく普及型で、発音の難しさを払拭する態度を表している。しかし著者が見たところでは人工言語の典型的な音節構造はCVとCVCのような開閉両方の音節である。こうしておけば外来語の流入が容易になるという利点があるからであろう。

 やや複雑な音節を認めると今度は発音しにくい子音連続の問題が出てくる。発音しにくいというのは母語によって決まる。日本語のように単純な音節を持っていると殆どの言語は複雑な連続を持っているように感じられる。したがってこの複雑さは相対的なものである。ただ、恐らくmvsbatvnrのような音節は発音しづらいであろうから、こういったものは排除される。こういう語形をそもそも作るはずがないのだが、唯一できてしまう言語が存在する。百科分類に基づいて機械的に語形を定める言語である。勿論上記ほど酷く発音しにくい語形ではないが。こういう言語は分類を音が表しているので、音がそのまま分類上の意味を持っている。したがって組み合わせ次第では到底発音できないか発音しづらい組み合わせができてしまう。これはしばしば普遍言語時代にも批判されたことである。

 しかし発音しづらさを避けるために音節構造を単純にすると語形が長くなりがちであり、発音しやすいように母音等を適宜挿入すると分類と語の結びつきが曖昧になってしまう。百科分類を用いる場合は適度な短さと発音の容易さと覚えやすさを満たすことが要求されるが、これは言うほど簡単ではない。後験語の場合、音韻体系は参照言語のものに合わせることが多いので、滅法言いづらい語はそうそうできないと思われる。よほど人間に困難であれば自然言語として成立しないからである。先験語の場合、百科分類を用いないのであれば自然言語を調査した上であまりに不自然な子音連続を避けることが要求される。

 アクセントに関しては拘束が多い。自然言語には自由アクセント体系がたくさん存在するが、それだと語ごとにアクセント位置を覚えるか、最低でもアクセント位置を特定するための規則を覚えねばならない。それは煩雑なのでアクセントは大抵拘束である。後験語は参照言語のアクセント形式を引き継いだりする。だがこの傾向は必ずしもそうでなく、必ず最後の音節だとか必ず最初の音節だと決めることもある。エスペラントのように最後から2番目という規則は西洋語を脱却した目で見ると扱いづらい。慣れるまでは最後から2個目を遡って数えなければならないし、機転の利かない学習者のために「1音節で終わる単語は1音節目にアクセントがある」といった但し書きも加える必要がある。尚、アクセントが自由でないと異言語の固有名詞を述べるときに相手に違和感を与える。たとえば尾高型や平板アクセントの固有名詞をフィンランド語のような第1音節にアクセントがある拘束アクセント体系に押し込めると奇妙な感じがする。特に人名だと顕著である。

 声調言語は実は自然言語には多く存在しているのだが、メジャー言語の中では中国語しかないためか、人工言語では声調を持たないものが多い。架空言語でかつて音調言語などの参考にされたころと違い、声調を持たないのがさも当然のようである。尤も普遍言語時代にも殆ど声調言語というのは見られなかったが。声調言語は音素数が少なく音節が単純であることが多い。元々起こりとしては音節末子音の消失に伴い声調が発生したと考えられるため、CVの音節を持つことが多い。CVになるということは上述のとおり外来語の流入が難しい。更に音素数が少ないのでいわんやである。中国語でアレクサンダー大王が何と言われているかを知ればこのことは頷けるであろう。中国に留学して一番苦労するのは世界史と聞いた。声調を持つのは中国語など声調言語を参照言語にした後験語か、そうでなくば先験語である。西洋語を参照言語にしておきながら中国語のような音韻体系と声調体系を持たせるのは整合性が無く非合理的である。

 尚、人工言語に珍しい声調言語だが、人工言語の声調を見てみると大概が単語の意味の識別に声調を利用しているようである。たとえばmaは1声だと「母」だが3声だと「馬」といったように。アフリカの声調言語には声調を文法的な識別要素として使うものがある(ザンビアのベンバ語等)のだが、人工言語の声調言語は中国語のように意味の識別をするものが多い。これは恐らくメジャー言語で唯一声調を持つ中国語が念頭にあるからであろう。人工言語としては声調を文法的に使い、たとえば主要な名詞の格を声調で表すことによって、語順の自由な言語を作ることもできるだろう。また動詞については声調で時制などを表すことも可能であろう。こういったアイディアは突飛かもしれないが合理的であり、声調を明瞭に発音すれば実用に際しても問題ない。なのでよく自然言語を調査すればこういった人工言語の着想に至ることは十分に考えられることである(注 自然言語を学習するよりも、短い時間でたくさん上辺だけ調査するほうが面白いアイディアを練るには役立つ)


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