日本の人工言語



ここでは日本発の人工言語を通時的・共時的に分析し、それを基に人工言語の今後について考えます。
今回の分析は主に語彙に傾倒しています。語彙は言語の一面でしかありません。よって理論というよりは私見です。

当サイトのリンクにある「人工言語野」には日本の人工言語が紹介されています。
アルカもご紹介に預かりました。
管理人の方が触れられていましたが、ここ数年で人工言語の数が急に増えたそうです。
恐らくネットが21世紀に入って更に普及し、常時接続のブロードバンドが当たり前になったことが関与していると思います。

90年代に公開された言語として地球語やノシロなどが挙げられます。
エスペラントが圧倒的に優勢である中で、国際補助語を目指して作られた言語なので、エスペラントにない特長を持っています。

地球語は独特の表意文字を使います。重ね文字といって、字を重ねることで複雑な概念も表せます。
文化についても鈴木孝夫を引用するなどして考察された形跡があります。
「人工言語野」に寄稿された翻訳では聖書が抄訳されています。
ここでの神という文字はきちんとキリスト教を反映して「一神教」の神を表しています。これには感服しました。

地球語は非言語に特化した言語でもあります。
会話をする際は各自が自分の母語を活かすことができます。
したがって、エスペラントと違い、音・語形の両面について唯一無二の語彙を持ちません。
エスペラントでは娘はfilinoという唯一無二の音と語形を持ちます。
rephraseはできてもalternativeはありません。「原則としてfilinoだが、別にmusumeでも良いよ」ということはありません。
地球語は母語や自然言語の語彙を殺さないことによって、学びやすくする工夫を施しています。

唯一無二の音・語形を持たない語彙体系ということではノシロも同じです。
基本単語と友好単語という固有の語を持ちますが、これらは仮初の存在にすぎません。
聖書の翻訳を見れば分かるとおり、英語などの自然言語の語彙を取り入れることもできます。ノシロで重要なのはこの点です。

友好単語は世界各国の言語をソースにして出来ています。
ですが友好単語の方法はノシロ本来の方法ではありません。本来、ノシロはアジア風エスペラントではないということです。

ノシロには標準単語というものがあります。
理性的な分類を用いて概念を「部首」に篩い分け、それらの「部首」を応用することによって語を作ります。
そして作者はこの標準単語に比重を置いています。

ただ、この標準単語は未完成であり、作者は学習者に時間を要求しています。
そのため事実上、友好単語の方が目立ちやすく、現状では「アジア風エスペラント」と認識されがちです。
作者はその認識を不服と仰っていますが、標準単語が拡充され公開されるまでは上記のように定義せざるをえません。
なぜなら未完成のものを言語の特徴として前面に出すことは妥当でないからです。
現状、前面に出せるのは実在する基本単語と友好単語であるため、上の認識は妥当と考えています

さて、地球語もノシロも固有の語彙体系を持たないという点で共通しています。
「代替可能な語彙体系を持っている」の方が正確かもしれませんが。
語彙を覚えるのは学習者にとって負担なので、この負担を減らせないかという思索の結果がこの語彙体系なのだと思います。
エスペラントが優勢である以上、焼き増しの言語を作ってもアドバンテージになりません。
したがって両者の特長は順当なものだと思います。

一方、演出型の言語は目的が異なるのでエスペラントを意識しなくて済みます。
なので固有の語彙を持ちやすく、クシュカ語やムンビーナ語はこのタイプに分類されます。
人工言語を単に「人が創った自然言語」と考えている一般の方にはとても親しみやすいタイプです。

翻って、アポステリオリの場合は西洋語を語源とすることが多いです。
近年になってアジア地域やアイヌ民族など、広範囲に渡って取り入れる言語が台頭してきました。
これにはグローバル化が関与しているでしょう。
IT技術によって地球が狭くなるほど、様々な言語のデータが入手できるようになり、こういう言語が作りやすくなります。
在日の方の言語で、新パトワ語というのがあります。これは将にこの傾向を表しているといえます。

枝葉ですが、最近の言語はネットでの公開を前提としているのでフォント環境を意識したものが多いです。
その結果、固有の文字を持たずにアルファベットを利用する言語の割合が更に増えました。
アルカはアンティスが異世界にあるという架空の設定を持つため、敢えて流れに逆らって固有の字を持っています。
ですが、実際はHPに載せるのに一々PDFにはしていられないのでアルファベットで転写することがあります。


これからもエスペラントの優位は変わらないでしょうが、そのようなことは殆どの作成者が自覚していることです。
人工言語の作成者を「相手の規模も分からずに盲目的に創ったり広めようとする偏狭な人間」と考えるのは偏見です。
殆どの方は自分の規模や将来性は大抵分かっていながら研鑽しているのです。

広めるのが難しいことも分かっているし、趣味として簡単に作成して公開できる環境になった時代です。
その結果、これからの言語はお手軽感のあるものが増えていくでしょう。
具体的には、西洋以外の語彙を取り入れる言語や、エスペラントを少し弄ったような言語が増えるでしょう。
でもそれは既に歴史が一度体験したことです。結果は周知の通り。

また、中には語彙をアプリオリに創る人もいるでしょう。アルカと同じタイプです。
しかしこのタイプは大変な労力を必要とします。
よほどの精神力がないと語彙が拡充されずに途中で停滞するだろうことが想定されます。

つまりこういうことです。語彙をアプリオリにすると大変になり頓挫しやすい。
アポステリオリだとエスペラントなどとの差異がなく、かつての歴史を繰り返すことになる。
そのどちらにもしない方法は?それが地球語やノシロですが、当然これらも欠点の全く無い方法ではありません。

どの道必要なのは「自分がこの人工言語を作るのは何のためだ?」という疑問に対してハッキリとした答えとなる目標を持つことです。
そして目標にあった言語設計をすることです。設計によっては非常に労力を要する場合もあります。
したがって人並み外れた根性が必要な場合もあります。

さて、今回は日本の人工言語について語りました。
公開媒体(PC)や社会環境(ネットの普及)や競合言語(エスペラントや英語)から人工言語が影響を受けることが見られました。
本当に色々なタイプがあります。目標を定義し、お互いそれに向かって研鑽を積んでいきましょう。

私見ですが、人工言語は世界観の演出や符牒として最も効果を発揮すると思います。
その効果を最大限活用できるのはアプリオリな言語です。
このタイプはこれからも少ないままだと思いますが、私個人としてはこのタイプの言語に一番注目しています。

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