趣味としての人工言語



ザメンホフのように使命感で言語を創る人がいます。
中には趣味として創る人がいます。

趣味は楽しかったりストレス解消だったりやりがいがあったりするものです。
彼らは言語作成にそれらを見出しているのでしょう。

でも長所があれば短所もあります。もしやりがいがなくなったら続ける理由はがなくなってしまいます。
そのとき既に趣味を使命感に変換していれば脱落は避けられるでしょうが、趣味のままだと飽きたら終わってしまいます。
恋愛ホルモンがなくなる前に恋を愛に変換できていればカップルは別れないというのに似てます。

では、どんな地点が要注意でしょうか。倦怠期?いやいや……(^-^;
言語作成に終わりはありませんから、ここではマイルストーンを提示します。

まず音韻体系・文法・挨拶等を含めた日常語彙――この3点セットの完成がひとつめの里程標です。
これができたときは感動物です。

「雨が降ってきた」「落ち葉が風に揺られている」「私が本を読み終わるまでに問題を解いてね」
「彼は彼女が昨日なくしたと言っていた傘を見つけた」
「おはよう」「好きだよ」「またね」

こんなことが自分の言葉で言えたとき、それを独自の書記法で書き下ろしたとき。そんなときは何ともいえない達成感があります。
人によってはその文に使った文法が他の解釈を許さないような論理的な表現であることを喜ぶかもしれません。
また、ある人はその表現が日本語や英語より短くて合理的なことを喜ぶかもしれません。
何気ない表現の音や文字が自分の美観に沿っていて、「この音、流麗……」と酔いしれることもあるでしょう。
それらはモチベーションを高める感情なので、十分浸るべきだと思います。

よほど精神の強い人でない限り、強い達成感の後には次の遠い目的への焦燥感や脱力感があります。
レベル1よりレベル2のほうが次の里程標までの距離がありますからね。

この達成感の後に待っているのは修正と追加です。これらはとてもつまらないです。
文法を直せば今までの作業で訳したものが「古典」になります。語を変えても同じです。
でも変えたり修正したりというのは必須ですから避けられません。そしてここから作業効率はグンと落ちます。

大体この時期だと自分で覚えられなくなっているので、とっくに辞書を作っているはずです。
辞書を作っていると大抵ミスや漏れに気付いて修正する羽目になります。こんなことの繰り返しで時間が過ぎていきます。
まるで修行です。やりがいを感じなければもはや趣味とは思えません。

挫折を食い止める薬なんてありませんが、助言程度ならできます。
それは語彙を好きになることです。

学生時代、単語暗記が好きだったなんて人はまずいないでしょう。
人工言語を作る人には文法好きが多いですが、それでも単語暗記が好きという人は少ないでしょう。

実際、言語を創る場合、単語暗記の繰り返しです。いや、もっとタチが悪いです。
もしかして自分が作った語なら英単語と違って覚えやすいだろうとか思います?それは誤解です。すぐに英語を覚えるのと殆ど変わらなくなります。
しかも自言語は修正されます。覚えた語が変わります。要するに覚えなおしです。英単語はそこまで迅速に変化しません。
ハッキリいって、序盤を過ぎると自言語のほうが自然言語より覚えづらいです。

中盤の自言語作成なんて辞書改訂と翻訳ばっかです。直しては覚えの連続です。
正直、暗記が嫌いな人には向きません。なので私は単なる暗記にしないようにしています。

ソシュール的にいえば、ある語は別の語との差異の上に成り立っています。私はこれに賛成です。
ある語は語彙という世界の中で自分の領土を持っています。
その領土がどんな土地なのか、旅行をするような気分で探りましょう。換言すればその語特有の語義や語法を創るということです。
一個一個の単語に愛着が持てるか。母語ではない言語の習得はこの姿勢があるかないかが重要だと思います。

趣味で作っている方で、もし序盤を過ぎても中盤の面倒な作業を回避できるぞというような方法を見つけた方は是非ご教授下さい。
また、中盤の中だるみを乗り切る他の方法を実践している方も是非ご教授下さい。

私は自分でやってみて、辞書と語彙との戦いにあけくれました。
暫くすると音・文字・文法なんて不動になります。でも語彙だけは……。
語法を規定し、語義を規定し、辞書に登録し、覚え、実用する。この繰り返しです。
もし語彙が嫌いだったらやってられません。

中盤で面白い作業といえば翻訳と執筆と口語上の運用でしょうか。
これは中々醍醐味がありますよ。これを糧にして辞書と語彙を乗り切る。それも有効かもしれませんね。
序盤が終わったら何かを書こうとか、何かを訳そうという目標を持つのがいいと思います。

語彙はそうですね、見方によって変わりますが、1万もあれば過剰なくらいだと思います。
語彙を拡充し、翻訳も執筆もできれば、もう終盤でしょう。言語としてはかなり出来上がっています。
後は自分で趣味として一人で実用しても良いし、小集団を編成して広めても良いでしょう。
尚、広めるのはもっと前段階でも構わないと思います。人が研究を促進してくれると思うので。

この終盤にゴールはありません。
でもここまで来たら言語は立派な財産です。
走れるところまで走りましょう!


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