・ベン・イェフダー
人工言語の大家の一人。
ザメンホフとトールキンとイェフダーが有名ではないだろうか。
最も有名なのはザメンホフ。トールキンは小説家として有名。
イェフダーは恐らくふつうの日本人は知らないはず。私もかつては知らなかった。
実は……イェフダーを人工言語に入れるのは私には疑問がある。
ヘブライ語は厳密には人工言語ではない。自然言語を復活させたものだ。エスペラントとは毛色が違う。
それにヘブライ語は文語としては生き残っていたわけで、口語として復活させただけなので、普及に成功したと言い切るのも問題がある。
それで少しイェフダーは毛色が違うなぁと思うわけだが……。
ともあれ、伝記を見比べると、人工言語に最も熱を入れていたのはイェフダーだ。なにせ作業量が違う。ほぼ神だ。
彼は書き言葉であったヘブライ語を口語として復活させたとのこと。
アポステリオリなので私は最初特に思い入れもなかったのだが、その熱心な辞書編集作業に惹かれた。
以下、引用はwikiから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%95%E3%83%80%E3%83%BC
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E8%AA%9E%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8
>ベン・イェフダーは辞典の執筆を一人で行っていたために、作業には長い時間がかかった。
>辞典編纂に係る多大な作業のため、ベン・イェフダーは正常な生活を送るのに支障をきたすようになった。睡眠時間はますます短くなっていったが、執筆を止めることは考慮されなかった。
まったく同じことをやっている。苦労が身に染みて分かる。
アポステリオリなので辞書もずいぶん簡単なのだろうと思っていたのだが、実は違った。
確かにアポステリオリなのでゼロからの作業がない分アルカよりは楽だ。
しかし彼はほかの大家より高いクオリティで辞書を書いている。以下の文とウィキの画像を見てほしい。
>単語の語義の解釈とその決定は、当初からベン・イェフダーの辞典編纂の目的であった。ベン・イェフダーはすべての単語の正確な意味を決定し、他の類義語との相違を明らかにしようと熱望していた。そのため、例えば "?????"(ma'der, 「鍬」)という項目では、単に地面を掘る道具であるという説明の上に、"????"(et, 「シャベル」)という語と意味がどう違うのかも説明されている。辞典の内容の正確さを担保するために、専門家たちからそれぞれの専門分野で助けを得ることも多かった。それにもかかわらず、ベン・イェフダーは難解な単語の解釈で、研究者たちの意見の一致が得られない事態にもしばしば遭遇した。そのような場合、辞典にはその語の様々な解釈はすべて併記されず、ハザル時代以降に最も使用例の多い解釈が選ばれ記された。語義の解釈に研究者たちの意見の一致が見られたものの、文献により別の意味で使用されている例がある単語については、二つの解釈が併記された。また、意味があいまいな単語の解釈を決定するにあたってベン・イェフダーは、他の言語の類義語を参考にするのを常としていた。このような語義解釈の方法は、それまでのヘブライ語辞典における解釈方法とは異なるものであった。
>さらに、ベン・イェフダーは各項目に英語、ドイツ語、フランス語の三つの言語の訳語も付け加えている。そのためこの辞典は、ヘブライ語と他の言語の訳語を決定づける初めての辞典ともなった。訳語の必要性についてベン・イェフダーは、辞典を利用する人々の多くがヘブライ語の知識に乏しく、ヘブライ語のみでは理解が難しいと説明している。またベン・イェフダーは、訳語を加えることで辞典にある単語の語義は、より明白になるとも考えた。
>その上ベン・イェフダーは、単語の語源と他の言語との比較も加えている。この部分に関してベン・イェフダーはドイツの聖書研究者ヴィルヘルム・ゲゼニウス (Wilhelm Gesenius, 1786年 - 1842年) によるヘブライ語、アラム語辞典、Thesaurus philologico-criticus linguae Hebraicae et Chaldaicae V.T を参考にしている。語源と他言語との比較は各項目の説明中に記され、非常に複雑で詳細な内容になっている。語源についてのベン・イェフダーの記述は、今日までのヘブライ語辞典の中でも最も包括的なものであるが、現在では時代遅れだったり、誤りのある部分も含まれている。
これはほぼdkのクオリティではないか!
150年も前にこんな人がいたとは。
むろんこちらはgoogle先生やPCのおかげでより高いクオリティのものが作れるようになったが。
ウィキにはイェフダー辞典の例も画像としてあがっている。
見ると分かるが、一語あたりの記述がザメンホフの辞典よりずっと多く、神経質なまでに作りこまれている。
むろんトールキンよりもクオリティが上だ。これを見て感動した。
私との年齢差は123歳か。ずいぶん近いな。
PCもなかったし、作業は大変だったろう。CtrlF検索がない時代だし、紙だし……。身震いがする。
言語観はセレン/トールキン、イェフダー/ザメンホフに分かれる。私とイェフダーはやっていることは似ているが、言語観は異なる。
私はアルカだけを使おうとか広めようとか人に押し付けようとは思わない。やりたい人が遊びや芸術としてやればいいというスタンスだ。
しかしイェフダーは人に広め、子供にも強要した。
>ベン・イェフダーは家族に対し、家庭ではヘブライ語のみを使用するように厳しく要求したばかりでなく、他の家庭もこれに倣うように影響を与えようと試みた。家族の証言によると、彼の息子ベン・ツィオンは、4歳になるまで言葉をまったく話なさず、デボラはこっそりと彼にロシア語を教えた。しかし、そのことを知ったベン・イェフダーが激しく怒ったため、ベン・ツィオンはヘブライ語を話すようになったという。また、子供達の成長に伴い、ベン・イェフダーは新しい単語を作り出だす必要に迫られた。
この「激しく怒った」というのが非常にリアリティを感じる。
気持ちは分かる。せっかく実験のために子供を犠牲にしたのに、4年も育てて嫁に裏切られていたとしたら、取り返しがつかないことだから、それは怒るだろう。
私も制アルカのころは子供ができたら教えるつもりでいた。
が、今は人工言語は芸術作品だと思っているため、私は娘にアルカを教えることに反対なので、デボラの気持ちが分かる。
ルシアにとってはいい迷惑だろう。そこでリディアとぶつかる。
ところで家族の証言というのは怪しい。知恵遅れでもないのに4歳まで喋らないことはありえない。
ユルトは多少頭のネジが緩いが、それでも2歳でアルカを話す。
紫亞はアホではあるが、女の子な上に頭が頗る良いので、べらべら喋る。
デボラが誇張したものの嘘はつかなかったと仮定すると、恐らく両家の違いは母親の違いであろう。
この家ではデボラが裏切っていることからわかるように、デボラのほうがヘブライ語教育に熱心ではない。
そしてデボラは母親だ。言語学の本で見たが、子供は母親の言語をよく覚えることが多いという。
例えばドイツ人の母とフランス人の父がいて中国で暮らすと、たいていドイツ語のほうができるようになるそうだ。
>執筆継続の決定は、ベン・イェフダーの妻ヘムダ(最初の妻デボラの妹)によるところが多かった。ヘムダはベン・イェフダーを説得して執筆を続けさせ、貧しい彼の世話をした。
これが意外だった。イェフダーも辞書編集を恐れていたのだ。人間らしいところが見れて安心する。偉人も人間なのだな。
ヘムダは凄いな。デボラはロシア語をこっそり教えていたが、ヘムダはむしろ旦那の尻を叩いて作らせたと。リディアみたいだ。
>執筆を始めた頃には、辞典は複数の専門家により執筆されるものであるとの考えが普通であった。しかし、ベン・イェフダーはこのような考えを否定し、一人で執筆活動を行うことで辞典の内容の統一性が保たれ、質も高まると述べた。
これに激しく共感した。
私がdkを人に触らせないのと同じ方針だ。
ぶっちゃけ人工言語の作業は2人いれば2倍速というわけにはいかない。
どうせ作者がすべての文を校閲しなければならないので、誰かに書いてもらってもあまり助からない。
助かるのはむしろ分業だ。
作者が辞書をやっている間に別の必要な作業が山ほどあるので、そういうのを分業できる体制のほうが助かる。
――と常々思ってきたので、この文を見て「どの時代の人も同じなんだなぁ」と思った。
人工言語の大家の一人。
ザメンホフとトールキンとイェフダーが有名ではないだろうか。
最も有名なのはザメンホフ。トールキンは小説家として有名。
イェフダーは恐らくふつうの日本人は知らないはず。私もかつては知らなかった。
実は……イェフダーを人工言語に入れるのは私には疑問がある。
ヘブライ語は厳密には人工言語ではない。自然言語を復活させたものだ。エスペラントとは毛色が違う。
それにヘブライ語は文語としては生き残っていたわけで、口語として復活させただけなので、普及に成功したと言い切るのも問題がある。
それで少しイェフダーは毛色が違うなぁと思うわけだが……。
ともあれ、伝記を見比べると、人工言語に最も熱を入れていたのはイェフダーだ。なにせ作業量が違う。ほぼ神だ。
彼は書き言葉であったヘブライ語を口語として復活させたとのこと。
アポステリオリなので私は最初特に思い入れもなかったのだが、その熱心な辞書編集作業に惹かれた。
以下、引用はwikiから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%95%E3%83%80%E3%83%BC
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E8%AA%9E%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8
>ベン・イェフダーは辞典の執筆を一人で行っていたために、作業には長い時間がかかった。
>辞典編纂に係る多大な作業のため、ベン・イェフダーは正常な生活を送るのに支障をきたすようになった。睡眠時間はますます短くなっていったが、執筆を止めることは考慮されなかった。
まったく同じことをやっている。苦労が身に染みて分かる。
アポステリオリなので辞書もずいぶん簡単なのだろうと思っていたのだが、実は違った。
確かにアポステリオリなのでゼロからの作業がない分アルカよりは楽だ。
しかし彼はほかの大家より高いクオリティで辞書を書いている。以下の文とウィキの画像を見てほしい。
>単語の語義の解釈とその決定は、当初からベン・イェフダーの辞典編纂の目的であった。ベン・イェフダーはすべての単語の正確な意味を決定し、他の類義語との相違を明らかにしようと熱望していた。そのため、例えば "?????"(ma'der, 「鍬」)という項目では、単に地面を掘る道具であるという説明の上に、"????"(et, 「シャベル」)という語と意味がどう違うのかも説明されている。辞典の内容の正確さを担保するために、専門家たちからそれぞれの専門分野で助けを得ることも多かった。それにもかかわらず、ベン・イェフダーは難解な単語の解釈で、研究者たちの意見の一致が得られない事態にもしばしば遭遇した。そのような場合、辞典にはその語の様々な解釈はすべて併記されず、ハザル時代以降に最も使用例の多い解釈が選ばれ記された。語義の解釈に研究者たちの意見の一致が見られたものの、文献により別の意味で使用されている例がある単語については、二つの解釈が併記された。また、意味があいまいな単語の解釈を決定するにあたってベン・イェフダーは、他の言語の類義語を参考にするのを常としていた。このような語義解釈の方法は、それまでのヘブライ語辞典における解釈方法とは異なるものであった。
>さらに、ベン・イェフダーは各項目に英語、ドイツ語、フランス語の三つの言語の訳語も付け加えている。そのためこの辞典は、ヘブライ語と他の言語の訳語を決定づける初めての辞典ともなった。訳語の必要性についてベン・イェフダーは、辞典を利用する人々の多くがヘブライ語の知識に乏しく、ヘブライ語のみでは理解が難しいと説明している。またベン・イェフダーは、訳語を加えることで辞典にある単語の語義は、より明白になるとも考えた。
>その上ベン・イェフダーは、単語の語源と他の言語との比較も加えている。この部分に関してベン・イェフダーはドイツの聖書研究者ヴィルヘルム・ゲゼニウス (Wilhelm Gesenius, 1786年 - 1842年) によるヘブライ語、アラム語辞典、Thesaurus philologico-criticus linguae Hebraicae et Chaldaicae V.T を参考にしている。語源と他言語との比較は各項目の説明中に記され、非常に複雑で詳細な内容になっている。語源についてのベン・イェフダーの記述は、今日までのヘブライ語辞典の中でも最も包括的なものであるが、現在では時代遅れだったり、誤りのある部分も含まれている。
これはほぼdkのクオリティではないか!
150年も前にこんな人がいたとは。
むろんこちらはgoogle先生やPCのおかげでより高いクオリティのものが作れるようになったが。
ウィキにはイェフダー辞典の例も画像としてあがっている。
見ると分かるが、一語あたりの記述がザメンホフの辞典よりずっと多く、神経質なまでに作りこまれている。
むろんトールキンよりもクオリティが上だ。これを見て感動した。
私との年齢差は123歳か。ずいぶん近いな。
PCもなかったし、作業は大変だったろう。CtrlF検索がない時代だし、紙だし……。身震いがする。
言語観はセレン/トールキン、イェフダー/ザメンホフに分かれる。私とイェフダーはやっていることは似ているが、言語観は異なる。
私はアルカだけを使おうとか広めようとか人に押し付けようとは思わない。やりたい人が遊びや芸術としてやればいいというスタンスだ。
しかしイェフダーは人に広め、子供にも強要した。
>ベン・イェフダーは家族に対し、家庭ではヘブライ語のみを使用するように厳しく要求したばかりでなく、他の家庭もこれに倣うように影響を与えようと試みた。家族の証言によると、彼の息子ベン・ツィオンは、4歳になるまで言葉をまったく話なさず、デボラはこっそりと彼にロシア語を教えた。しかし、そのことを知ったベン・イェフダーが激しく怒ったため、ベン・ツィオンはヘブライ語を話すようになったという。また、子供達の成長に伴い、ベン・イェフダーは新しい単語を作り出だす必要に迫られた。
この「激しく怒った」というのが非常にリアリティを感じる。
気持ちは分かる。せっかく実験のために子供を犠牲にしたのに、4年も育てて嫁に裏切られていたとしたら、取り返しがつかないことだから、それは怒るだろう。
私も制アルカのころは子供ができたら教えるつもりでいた。
が、今は人工言語は芸術作品だと思っているため、私は娘にアルカを教えることに反対なので、デボラの気持ちが分かる。
ルシアにとってはいい迷惑だろう。そこでリディアとぶつかる。
ところで家族の証言というのは怪しい。知恵遅れでもないのに4歳まで喋らないことはありえない。
ユルトは多少頭のネジが緩いが、それでも2歳でアルカを話す。
紫亞はアホではあるが、女の子な上に頭が頗る良いので、べらべら喋る。
デボラが誇張したものの嘘はつかなかったと仮定すると、恐らく両家の違いは母親の違いであろう。
この家ではデボラが裏切っていることからわかるように、デボラのほうがヘブライ語教育に熱心ではない。
そしてデボラは母親だ。言語学の本で見たが、子供は母親の言語をよく覚えることが多いという。
例えばドイツ人の母とフランス人の父がいて中国で暮らすと、たいていドイツ語のほうができるようになるそうだ。
>執筆継続の決定は、ベン・イェフダーの妻ヘムダ(最初の妻デボラの妹)によるところが多かった。ヘムダはベン・イェフダーを説得して執筆を続けさせ、貧しい彼の世話をした。
これが意外だった。イェフダーも辞書編集を恐れていたのだ。人間らしいところが見れて安心する。偉人も人間なのだな。
ヘムダは凄いな。デボラはロシア語をこっそり教えていたが、ヘムダはむしろ旦那の尻を叩いて作らせたと。リディアみたいだ。
>執筆を始めた頃には、辞典は複数の専門家により執筆されるものであるとの考えが普通であった。しかし、ベン・イェフダーはこのような考えを否定し、一人で執筆活動を行うことで辞典の内容の統一性が保たれ、質も高まると述べた。
これに激しく共感した。
私がdkを人に触らせないのと同じ方針だ。
ぶっちゃけ人工言語の作業は2人いれば2倍速というわけにはいかない。
どうせ作者がすべての文を校閲しなければならないので、誰かに書いてもらってもあまり助からない。
助かるのはむしろ分業だ。
作者が辞書をやっている間に別の必要な作業が山ほどあるので、そういうのを分業できる体制のほうが助かる。
――と常々思ってきたので、この文を見て「どの時代の人も同じなんだなぁ」と思った。