・最小の内容は最小の労力ではないかもしれない
昨日(09/10/2)の夜、ラジオを聴いてねっころがっていたら、ウチの親が「conferenceって何?」と聞いてきた。
帰ってきてコタツの上に放置しておいたJapan Timesを見て喋っている。
「会議だよ。高校英語だよ」というと、「そんなの覚えられるかwww」と言う。
帰ってきてコタツの上に放置しておいたJapan Timesを見て喋っている。
「会議だよ。高校英語だよ」というと、「そんなの覚えられるかwww」と言う。
そこで「いや、conが「ともに」で、ferが「運ぶ」なんだよ。ともに意見を持ち合うから「会議」。ferが「運ぶ」ってのはferryとかと同じだよ」というと、「なるほど」と言っていた。
「アンタ、なんでそんなの知ってるの?意味聞くといつも語源まで遡って説明するよね」と聞いてくる。
「いや……最初に中学のときに辞書引くだろ。で、俺もやっぱ訳語を覚えられなかったクチなんだよ。それで語源見て意味を理解してから覚えるようにしたらできたんだ」
「アンタ、なんでそんなの知ってるの?意味聞くといつも語源まで遡って説明するよね」と聞いてくる。
「いや……最初に中学のときに辞書引くだろ。で、俺もやっぱ訳語を覚えられなかったクチなんだよ。それで語源見て意味を理解してから覚えるようにしたらできたんだ」
――という話をしていた。
そこでふとあることに気付いた。
全体としては語源を覚えることで覚える量が増えている。脳への負荷が増している。しかしかえってそのほうが覚えられる。
これは逆説的だなぁ、と思った。
そこでふとあることに気付いた。
全体としては語源を覚えることで覚える量が増えている。脳への負荷が増している。しかしかえってそのほうが覚えられる。
これは逆説的だなぁ、と思った。
そのときあることに気付いた。これってもしかして人工言語もそうなんじゃないかと。
オグデンのベーシックイングリッシュやエスペラントの文法がそうだが、よくできていて体系的で合理的で覚えやすい。
一般に、人工言語というのは簡単さをウリにしている。
でも私の知る限り、簡単さはあまりユーザーにアピールしないのだ。
オグデンのベーシックイングリッシュやエスペラントの文法がそうだが、よくできていて体系的で合理的で覚えやすい。
一般に、人工言語というのは簡単さをウリにしている。
でも私の知る限り、簡単さはあまりユーザーにアピールしないのだ。
大体人工言語をやる人は語学力が高いので、あえて難しい方を取るというのもあるかもしれない。
だが、こうも考えられる。ライプニッツ式の機械的な、しかし体系的な言語というのは、かえって人間にとって覚えにくいからなのではないかと。
覚える内容が最小限な言語というのは覚える労力も最小とは限らないのではないだろうか。
だが、こうも考えられる。ライプニッツ式の機械的な、しかし体系的な言語というのは、かえって人間にとって覚えにくいからなのではないかと。
覚える内容が最小限な言語というのは覚える労力も最小とは限らないのではないだろうか。