B・コムリー(1992)『言語普遍性と言語類型論』ひつじ書房
p.108に、ホーキンスの示した普遍性が載っている。
(1) SOV →(AN→GN)
(2) VSO →(NA→NG)
(2) VSO →(NA→NG)
これを日本語にすると以下のようになる。
(1)' 日本語のようなSOV語順の言語は、「形容詞・名詞」の語順を持つなら、所有は「私の家」の順序で表す。
(2)' アラビア語のようなVSOの言語は、「名詞・形容詞」の語順を持つなら、所有は「window of house」の順序で表す。
(2)' アラビア語のようなVSOの言語は、「名詞・形容詞」の語順を持つなら、所有は「window of house」の順序で表す。
SVOは両者の中間である。SOVと鏡のような対称性を持つのはSVOでなくVSOである。
ただ、SVOはSOVと対称性を持つことがままあり、アルカもそれに準拠している。
ただ、SVOはSOVと対称性を持つことがままあり、アルカもそれに準拠している。
ここで問題にしたいのは、なぜ(1),(2)のような法則ができるかということだ。
それを言語学でなく、人工言語を作る過程の作業という観点で見てみたい。
実は、このような問題は言語学的な考察より、実際に言語を作ってみるという作業をしたほうが原因を理解しやすい。
それを言語学でなく、人工言語を作る過程の作業という観点で見てみたい。
実は、このような問題は言語学的な考察より、実際に言語を作ってみるという作業をしたほうが原因を理解しやすい。
さて、まずはSOについて考える。
いずれも名詞句なので、コトかモノかで言えばモノである。
一方、Vはコトである。
従って、SOVはモノ・コト式、VSOはコト・モノ式の語順であると簡略化できる。
いずれも名詞句なので、コトかモノかで言えばモノである。
一方、Vはコトである。
従って、SOVはモノ・コト式、VSOはコト・モノ式の語順であると簡略化できる。
一方、ANはどうか。
Nは名詞なのでモノである。
Aは修飾句であるが、修飾句の内容はNの性質や状態を説明したものである。
性質や状態は静的な動作と考えることができるため、Aはコトに篩うことができる。
従って、ANはコト・モノ式で、NAはモノ・コト式である。
Nは名詞なのでモノである。
Aは修飾句であるが、修飾句の内容はNの性質や状態を説明したものである。
性質や状態は静的な動作と考えることができるため、Aはコトに篩うことができる。
従って、ANはコト・モノ式で、NAはモノ・コト式である。
同様に、GNはどうか。
Nはモノである。
Gは所有者や所属者という性質をNに添える役割を持つ。
従って本来的にAと変わらない。
ゆえに、GNはコト・モノ式で、NGはモノ・コト式である。
Nはモノである。
Gは所有者や所属者という性質をNに添える役割を持つ。
従って本来的にAと変わらない。
ゆえに、GNはコト・モノ式で、NGはモノ・コト式である。
これを踏まえて(1)(2)を捉えなおすと、このように簡略化される。
(3) モノ・コト→コト・モノ
(4) コト・モノ→モノ・コト
(4) コト・モノ→モノ・コト
これを日本語にするとこうなる。
(3)' 基本語順がモノ・コトの場合、修飾の順序はコト・モノになる
(4)' 基本語順がコト・モノの場合、修飾の順序はモノ・コトになる
(4)' 基本語順がコト・モノの場合、修飾の順序はモノ・コトになる
見事に真逆であることが見て取れる。
さて、ではなぜ基本語順と修飾語順が逆転するのだろうか。
さて、ではなぜ基本語順と修飾語順が逆転するのだろうか。
一番の目的は、「統語操作によって基本語順と修飾語順を区別する」ことである。
基本語順と修飾語順を逆転することで、語句の並びを見たときに、その順序によって両者を区別することができ、経済的だからである。
例えば、(3)型の言語において、ある語句がモノ・コトの順序で並んでいれば、ほかに何も余計なものをつけなくても、ただその並びだけで、その語句が基本語順を示していると理解できる。
基本語順と修飾語順を逆転することで、語句の並びを見たときに、その順序によって両者を区別することができ、経済的だからである。
例えば、(3)型の言語において、ある語句がモノ・コトの順序で並んでいれば、ほかに何も余計なものをつけなくても、ただその並びだけで、その語句が基本語順を示していると理解できる。
もし基本語順と修飾語順が同一だと、どちらかに識別するための標識を付けねばならない。
例えば「これは修飾句ですよ」というような、修飾を意味するだけの虚飾を付けねばならない。
これは煩雑である。順序で基本語順と修飾語順を区別すれば、煩雑な虚飾は要らない。
例えば「これは修飾句ですよ」というような、修飾を意味するだけの虚飾を付けねばならない。
これは煩雑である。順序で基本語順と修飾語順を区別すれば、煩雑な虚飾は要らない。
具体例を挙げよう。
アルカで大きいはkaiで、女はminである。また、アルカは(4)式の言語である。
従ってkai minとなっていれば基本語順で、min kaiとなっていれば修飾語順のことだと理解できる。
前者は「誰かが女を大きくする」(実際にはkaiemと言うが)、後者は「大きい女」の意味である。
アルカで大きいはkaiで、女はminである。また、アルカは(4)式の言語である。
従ってkai minとなっていれば基本語順で、min kaiとなっていれば修飾語順のことだと理解できる。
前者は「誰かが女を大きくする」(実際にはkaiemと言うが)、後者は「大きい女」の意味である。
もしアルカがコト・モノ語順しか持たない場合、これらの区別ができない。文なのか修飾句なのか分からない。
この状況で区別するには、修飾句の場合はleという単語を置いてmin le kaiとするというような処理を取ることになる。
だがこれは明らかに煩雑である。
この状況で区別するには、修飾句の場合はleという単語を置いてmin le kaiとするというような処理を取ることになる。
だがこれは明らかに煩雑である。
人間は煩雑も誤解も避けたい。だから効率的に基本語順と修飾語順を区別したい。
そこで行うのが統語操作である。
そこで行うのが統語操作である。
このような発想は言語を作っているとよく行き当たる。
言語を作る際にわざわざ冗長にしようと思う者はまずいない。
作者はできるだけ能率的にしようとするため、このような問題にしばしば直面する。
言語を作る際にわざわざ冗長にしようと思う者はまずいない。
作者はできるだけ能率的にしようとするため、このような問題にしばしば直面する。
逆転現象が起こるのは、人類が自然と最も合理的な手段を選んだからにすぎないという発想が出る。
そうでない言語を作ってみると、いかに使いづらいか分かる。
そうでない言語を作ってみると、いかに使いづらいか分かる。
ところで、この問題を容器で考えてみる。
基本語順というのは文に関わることである。文は最大の大きさを誇る容器である。
修飾句なんていうのはしょせん文の内部の問題であるから、小さな容器である。
修飾語順は基本語順という大きな容器の中に入った小さな容器である。
基本語順というのは文に関わることである。文は最大の大きさを誇る容器である。
修飾句なんていうのはしょせん文の内部の問題であるから、小さな容器である。
修飾語順は基本語順という大きな容器の中に入った小さな容器である。
さて、「大きな容器の中に、それを同じ形をした小さい容器が入っている」のと、「大きな容器の中に、それと異なる形をした小さい容器が入っている」としよう。
もし「小さい容器を取れ」と言われたら、どちらが速やかに取れるだろうか。
言うまでもなく、形が異なっている後者である。
三角の中に三角が入っているより、三角の中に四角が入っているほうが、人間の認知では区別しやすい。
これを踏まえると、語順についても修飾語順は基本語順と異なっている必要がある。
もし「小さい容器を取れ」と言われたら、どちらが速やかに取れるだろうか。
言うまでもなく、形が異なっている後者である。
三角の中に三角が入っているより、三角の中に四角が入っているほうが、人間の認知では区別しやすい。
これを踏まえると、語順についても修飾語順は基本語順と異なっている必要がある。
一方、SVOがSOVとVSOの中間に位置するというのも、このことの裏付けとなる。
そもそもSVOはモノ・コト・モノ式であり、前半2つを見れば(3)だが、後半2つを見れば(4)である。
どちらとも言えない。
そもそもSVOはモノ・コト・モノ式であり、前半2つを見れば(3)だが、後半2つを見れば(4)である。
どちらとも言えない。
そのことからも、中間に位置すると言われることに得心がいく。
だから英語のようなAN式もあれば、フランス語のようなNA式もある。
だから英語のようなAN式もあれば、フランス語のようなNA式もある。
これを人工言語に応用すれば、SVOの場合は比較的自由に語順が組めるということである。
もっとも、ANにしておきながらNGにするなどといったアクロバットは止めておくのをお勧めするが。
もっとも、ANにしておきながらNGにするなどといったアクロバットは止めておくのをお勧めするが。