ナルニア国物語2章を初日で見てきた。レイトショーなので空いていて助かった。
すべてのシーンが絵画のようだった。一枚一枚素晴らしい絵なのに、それが集まって動画になっているかのようだ。
ルーシーが良い。絵になるほどカッコいいのだ。縄を切るシーンで、ナイフを取り出すときの動きがまるで動く絵画。
馬にまたがってマントをたなびかせる姿も動く絵画。絵になる娘だなぁ。

さて、実はネットでチケットを買ったら間違って吹き替え版を買ってしまった。
大人になって初めて映画館で吹き替え版を見た。
ところが現在の吹き替え技術は素晴らしい。違和感がない出来だ。
気に入ったので字幕版も見に行こうと思う。

吹き替えは巧かったが、日本語なので違和感は残る。
言語と文化と風土は関連しあっている。
ナルニアの世界はもろイギリスをパクったアポステリオリな風土と文化だ。
風土と文化は西洋と言っていい。だが言語だけ日本語だ。

西洋人の上下感と日本人の上下感は異なる。彼らには「陛下」でなくYour majestyが似合う。
「陛下」というのは王そのものでなく、王のいる場所の階段の取次ぎの人間を指す。
王自体を指すのは恐れ多いので、取次ぎを使ってメトニミーで表すという心だ。
だが、カスピアンの玉座を見ていると、どうも「陛下」ではない。臣下は直接奏上してるしね。
やはりMajestyとかKingのほうがしっくり来る。
(逆に『始皇帝暗殺』なんかはモロ「陛下」でいい。言葉どおりだ)

特にKingは重要なファクターだ。語源的にkingのkinの部分はkinshipなど、「その一族のもの」という意味を持つ。
ナポレオンは皇帝になれても王にはなれないというのはよく聞く小話だ。
カスピアンはkingであって、王ではない。まして陛下でもない。
(ぶっちゃければピーターもkingではないんだけど)

もっと卑近な例をあげると、洋画なのに「洋服」という単語が出てくると違和感を覚える。
我々にとって「洋服」であって、彼らにとっては「服」だ。

やはりイギリスの文化と風土が元になっているものは、英語が似合うなと思った。
舞台がイギリスなのに言語が日本語というのは、パンに味噌汁みたいなものだ。食い合わせはよろしくない。
なんとか技術で美味しく仕上げているが、パンに味噌汁というのは変わらない。

で、何が言いたいのかというと、非難ではない。あの映画はよくできている。
日本人が言語の違いを愉しまないことへの不満でもない。そんなもんは神経質にならないほうが素直に映画を楽しめる。
人工言語にも同じことが言えるだろうなということである。
恐らくアルカにはアンティスが合っている。食い合わせがいい。そりゃそうだ、アルカはアンティスのために誂えたのだから。

言語というのは、その文化と風土のために誂えたテーラードである。
その言語が一番しっくりくるのは、その文化と合わさったときだ。

だが、文化を捨象して言語だけ見ることもできる。
例えば吹き替え版で凄くよかったのは、キャラの言葉遣いによってキャラが立っていたため、キャラ同士の人間関係がすぐ把握できたことだ。
英語は少女も老人もIという。敬称も日本語の人称名詞ほど多くない。敬語もそれほど発達していない。

日本語は長い封建制度と村社会のおかげで位相が激しい。
位相の習得は難しいが、その代わりキャラは立つ。
たいていのファンタジー系ラノベのキャラ特性は英語に訳されると失われる。
これは日本語の長所だ。普及型には向かないし学習もしづらいが、芸術的な作り込みは強い。

逆に英語は修飾節が発達し、韻も発達している。詩的能力に長ける。
日本語の文学に比べ、英語は韻をところどころに取り入れている。散文でもだ。日本語にはこの習慣がない。
また、修飾節が長いのも英語の特徴だ。日本語は形容詞が少ない上、AN構造を取るので、あまり修飾節が長いとまどろっこしくなってしまう。
それゆえか、日本語には修飾節が乏しい。簡素な描写をするなぁと思うことが多い。

このように、言語には固有の得意分野がある。どの文化で使うかということを考慮しても、得意分野は維持される。
日本語は上下関係や敬意を表すのに向いている。英語は詩的な表現や細かい修飾を組み込むのに向いている。

当然、各人工言語にもこのような得意分野がある。
例えばアルカにはアルカの強さがある。A語にはA語の強さがある。
そうすれば、英語のシェアが最強とか、エスペラントのシェアが人工言語では最強とか、アルカのシェアがこの界では最強とかいった議論はくだらないということが分かる。
A語にはA語にしかできないことがあるからだ。

高校大学のころの自分なら綺麗事と称して斬り捨てていた。
だが、経験を積んだ上で、今は切に思う。
現実、アルカで表現できないことは多い。すべての分野に力を入れると言語は破綻してしまう。
どこかを細かくする代わりに、どこかを緩めなければならない。
そのバランスが言語の特徴になる。
だから、決定的に良い言語なんてものは存在しない。

まとめ
1:言語には文化・風土との食い合わせがある。その言語に一番合っているのはあくまでその文化・風土
2:言語には表現を得意とする分野がある。言語ごとに得意分野は異なる。たとえ使用者一人の言語でも、ある分野を表現することにおいてはシェア10億以上の英語に勝る。