下記のメモを見てほしい。


左上はアルカの行為動詞と状態動詞の「将前相〜影響相」である。
状態動詞の将前は行為動詞の経過に意味的に等しい。

従ってこの図は一段下の図のようにまとめられる。
真ん中が行為動詞の完了相&状態動詞の開始相だ。
図が数直線に見えるので、ここを仮に0とする。

すると0を中心として、左が行為動詞、右が状態動詞になる。
○が左に行くごとに-1,-2…としていく。右も同様。
,-1は行為動詞の開始相、+1は状態動詞の完了相に等しい。

行為動詞「座る」は-2の手前から1までの範囲を指す。変域は-2<x<1
状態動詞「座っている」は-1から+2の手前である。変域は-1<x<2

ここで魚楠氏のフラクタル理論を読んでほしい。
http://hiii.sblo.jp/article/15413068.html

氏は「アスペクトの要素は「変化」と「状態」の二つである」と述べ、それを「──|」で表している。
状態が横棒である。本論と併せるため、以降は「――○」で表す。

制アルカの5相体系は「――」3つ、「○」2つの体系だった。
――○――○――のように。
しかしこれだと「座っている」という状態は表せても(sab-en)、「座り終えた(座るのを止めた。状態動詞の完了相)」や「座面が暖かい(状態動詞の影響相)」が表せなかった。
制アルカではsab-enでこの3種を表したため、混乱が生じ、アスペクト論争が起こったといっていいだろう。

新生ではKakis氏による7相体系を採用する。
――○――○――○――のように。あるいはメモの左下の図のように。

・何相体系がバランス取れているか

――○という最小単位のアスペクトを繰り返していくと、何相でも作れる。
「座る」という動詞の左側を増設した9相体系が図の右上である。
,-2<x<1でひとつの「座る」というまとまりになったのと同じように、ひとつ変域を左にずらして-3<x<0で見ても、ひとつのまとまりを作ることができる。
,-3<x<0の区間は例えば「倉に手を伸ばす(将前)、椅子を取り出しはじめる(開始)、椅子を設置して座る準備をする(経過)、腰を下ろしだした(完了)、腰を下ろしている(影響)」の5相に相当する。
将前から影響が「座る」のそれに対してひとつずつ左にずれているので混乱しないように。

,-3<x<0は-2<x<1(座る)や-1<x<2(座っている)に比べてイメージしづらかったはずだ。
それは日本語に「そのまとまりを表す表現」がないからだ。
しいていうなら、「着席準備する」という漢語動詞になるだろう。

もしかしたら言語Lには「着席準備する」という動詞があるかもしれない。
あるまとまった5相に意味を見出すなら名付けをし、見出さないなら名付けをしないというのがポイントだ。
言語ごとに名付けるか否かは異なるが、人間の言語である以上、目覚しいほどの差はない。

例えば燃焼という現象について考えると、「火を準備している、火を付け始める(-1)、燃やそうとしてパチパチいってきた、火がついた(0)、燃えている、火が消える(+1)、灰になっている」という7相を用意すれば、燃焼に必要な局面はすべて表現できる。
――○――○――○――のように。

むろんこの図の左側を増設すれば、「火種を揃える、火種が揃った(-2)、火を準備する」を加えることができる。
――○――○――○――○――のように。

だが、人類にとって表現したいことは恐らく-2<x<2である。この長さがあれば十分である。
燃焼準備をするという動詞があるとするなら-3<x<1が十分な長さになるが、燃焼という動詞についていえば-2<x<2が十分な長さである。

・十分な長さは必要な長さではない

燃焼という現象の事前段階から事後段階まで過不足なく表現しようとすると、-2<x<2の7相が必要になる。
だが、7相も相を作るということは、それだけ表現を複雑にすることを意味する。
表現には十分だが、7相すべてが必要とは必ずしも言えない。

日本語の場合、日常的には「開始(しだす)・経過(している)・完了(した)・影響(している、してある)」の4相を使う。
日本語には-2<x<2もの長さが必要ない。

人工言語にも同じことが言える。
制アルカでは5相が必要とした長さだった。

・なぜ7相が十分な長さなのか

当然の疑問だが、なぜある現象の局面を表すとき、-2<x<2あれば十分局面を表現できるのだろうか。
「-2<x<2が必要ではないが十分である」の根拠を考えてみたい。

ある現象には、その現象の事前段階と実行段階と事後段階がある。
旅行の準備をして旅行をして後の処理をするとか、デートの予定を立ててデートして日記を書くとか、予習して勉強して復習するとか、日常的に言えばそういうことだ。
人間がひとつの現象に関わるとき、準備をし、実行し、事後処理をするというのが基本だ。
実行が中心に来るが、その前後についても考える。
燃焼とか着席といった現象についても、このように事前・実行・事後の3段階で考えるのが、人間として自然なのだろう。

ただ、あくまで重要なのは実行段階だ。
そこで言語によっては「ウチは実行段階さえ表せればいいよ。あとの相は迂言法で表現するから」ということになる。

さて、アルカではこれを踏まえた上で、あえて七面倒な七相体系にこだわろうと思う。

・数直線の中心が意味するものは

数直線の中心が意味するものは「実行段階の終了」である。
例えばデートというイベントなら、別れた段階である。殺すという現象なら、対象が死亡した段階である。
最も焦点化されている実行段階が完了した段階が、7相数直線の中心になっている。

・例外動詞はなぜ起こる

恋愛という現象を7相体系に収めると、0には「好きになった瞬間」が来る。
そして人間が恋愛という現象で最も注目するのは、「好きだ」という状態、0<x<1の区間だ。
――○――○――○――
□□□□□□□↑ココ

従って、このような動詞では0<x<1の区間を無標にしたい。
それが英語の心理動詞や知覚動詞であり、無標であるからこそing形を伴わない。

一方、殺害という現象では、無標になるのが-2<x<1の区間である。
アルカでは行為動詞の無相に当たる。日本語では辞書形の「殺す」に当たる。
恋愛と無標区間が異なるのが分かる。

そして殺害タイプと恋愛タイプを比べると、どの言語でも前者のほうが圧倒的に多い。
そこですべての動詞の無標区間を殺害タイプに合わせると、恋愛タイプの動詞を使うとき、無標区間を有標形式で表現しなければならない。
例えば英語でいうとI am liking itのように言わなければならなくなる。
これが冗長なので、すべての動詞の無標区間を動詞の種類ごとに振り分ける方法が一般的だ。
そして比率の理由で、恋愛タイプの動詞が一般に例外として処理される。

・重要なのは何を「実行段階」に持ってくるか

上で見たように、燃焼という現象で見れば、-2<x<2が十分な長さである。
ところが燃焼準備という現象で見れば、-3<x<1が十分な長さである。

もし言語Lが燃焼準備しか作らない場合、燃焼については-2<x<1までしかカバーできないが、一部は表現できることになる。
逆にもし言語Lが燃焼という語と燃焼準備という両方の単語がほしいと思えば、作ればいい。
その場合、これらは-2<=x<=1の区間を共有することになる。
共有しているということは、燃焼準備で燃焼の一部を表現できることになる。
これを無駄とか余剰と考える人間もいるだろう。
だが、それは無駄というよりは、単に燃焼準備という現象を表現する語がほしかったに過ぎない。

例えば7相を使えば、「生存」という現象を表す単語だけで「誕生」や「死亡」を表すことができる。
だが、誕生や死亡という現象は人間にとって一般に燃焼準備より興味深い。
そこで、これらを「実行段階」として7相の中心に据え、動詞を増やす。
当然「誕生」の7相と「生存」の7相は重複部分があるが、これを以って無駄とするのはいかがなものか。
むしろ、その言語は誕生という現象を特別に取り上げたかっただけであり、好んで無駄をしたのではない。

重要なのは何を「実行段階」に持ってくるかだ。
生存という現象に焦点を当てれば、そこを中心に事前段階と事後段階が想定される。
結果、別の動詞と重複する部分が出ても、それは副作用に過ぎない。
人間が焦点化したい「実行段階」の数だけ、動詞は存在する。
そして繰り返すが、言語によっては「実行段階」だけを表せば満足で「事後段階」などに興味のないこともある。

セレンはアルカの動詞faiの7相が定められずに困ったことがある。
セレンは「燃える」を「実行段階」に持ってきた。
Kakis氏は「燃やす」を「実行段階」に持ってきた。

「燃える」で7相作ると、0より右側の部分があまり日常生活でなじみないものになる。
ところが「燃やす」で7相作ると、7相すべて日常生活でなじみあるものになる。

言語Lでは「燃える」を中心にしても「燃やす」を中心にしても、どこに焦点を置いて動詞を作るかの趣味の問題だからいい。
しかし、だ。人間の言語である以上、7相のそれぞれの意味が日常生活として馴染み深いものを選んだほうが、使いやすい。
従って「燃焼準備」や「燃える」を中心にして7相を考えることもできるが、「燃やす」を中心に7相を組むと、日常生活でまず使わないような相を避けることができる。

例えば「燃える」を中心に組むと、0の点は「火が消える」だから日常的だが、+1の点は「灰であり終わる」になり、1<x<2の区間は「灰でなくなって別のものになった状態」を意味する。
だが、こんなこと日常的に考えづらい。「燃える」を中心に組むと、日常言語的には右側の相を「無駄遣い」してしまう。
このように、どこを中心にするかについては、最もこういった「無駄遣い」が少ない7相を組むのが良いだろう。
この「無駄がない」というのは人間にしか判断できない主観的かつ認知的な行為であり、機械の作業できることではない。
言い換えれば、言語屋によっても若干差異があると思われる。
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