・鈴木孝夫、田中克彦(2008)『言語学が輝いていた時代』岩波書店

・概要

言語学の大老2人の対談。
苦労話と称した自慢話や下ネタも見られるが、大老なのでしょうがない。
なにより歴史の生き証人なので、内容自体は面白い。
使っている言葉も易しい。

特に鈴木孝夫は新生人工言語論でも取り上げたとおり、言語文化に関する眼が鋭いので、勉強になる。
氏のエスペラント批判は非常によくまとまっている。

・p10 井筒俊彦

教授会も授業もしなくてよく、金だけもらって在籍していてくださいとは、なんともうらやましい話。
現在の人文科学の学徒が等しくワーキングプアである状況を考えて発言してほしいものだ。

・p16

言語学科は音しか扱わないよとミシガン大学で突っぱねられた鈴木の話。
今の言語学からは考えられないが、言語学は狭量なことをよくやる学問だ、伝統的に。
人工言語を対象としないのも言語学の常識。

当時音以外をやることが言語学でないと考えられた。今の人間は当時を笑う。
じゃあ人工言語を言語学としてやる俺の何がいけないかという話になる。
だが、これだけ歴史を見ても9割以上の人間は「意味は意味。文法は文法。人工言語は人工言語。人工言語には意味や文法のような歴史は起こらない」と決めつける。あきれたものだ。

ちなみに僕自身、言語学が人工言語をやる未来はないと思っている。
ただ、それは連中がやろうとしないだけだ。

だが言語学が人工言語を分析できないということではない。
意思の問題であって、あくまで人工言語は言語学の対象だ。

・p74

なぜかここで人間論。人間だけが動物を遊びで殺す生き物だという。
僕としては、動物は単に決められた動きしかできない脳みそなんだと思う。
ようするに、オオカミは遊びで殺そうという発想が浮かばないくらい、低能だというだけ。
人間様は頭がいいので、色々残酷なゲームを思いつく。その違い。

・p76

神を作るのは言葉がなければできない、と田中。
言葉のインディペンデントになった最高形態が宗教だと述べる。

面白い。
となるとリディアは最初に最高形態を作り、セレンは最初にその素地となる言葉を作ったわけか。
いいペアワークである。

・p78

レイプできるのは人類だけ、と鈴木。
言語に関係ないから捨て置いてもいいけれど……。そうではないですよ、先生。
矢沢サイエンスオフィス編(2003)『セックスのすべてがわかる本』p138に「人間のレイプと動物たちのレイプ行動」という記事が載っています。

・p87

これは面白い。オオカミはシカを食うからシカの天敵なのだが、実際は弱いシカがより高確率で餌食になるわけだ。
そうすると弱者が適度に駆逐されるから、シカ社会を健全に保つ役割をオオカミがしているというのだ。

現代社会は過保護なところがあるから、それくらいでちょうどいいのかも。
あまり弱いのを守っていると、悪い遺伝子が残ってしまうし。

ただ、鈴木は弱者に死ねとまでは言わず、強者の下の地位を与えるという境界線を引いている。
僕もこれに賛成だ。

僕の考えでは、女が男のマネして張り合う必要はない。無理しないで女らしく自分の地位についていればいい。
生理や子育てのある女に男と同じことをさせるより、家事や料理をしてくれる地位そのものを向上したほうが健全だと言っている。
アルバザードじゃ、毎日家族の健康を気遣った料理を作ってくれるお母さんは、とても偉いんだわ。

・p95

動物は環境に対応したものだけが生き残る。
だが人類は環境を変えて生き残る。ただ、完全には変えられないので、環境に合わせ、自らの文化を風土に合わせて作るという話。
非常に共感できる。

・エスペラント

p96からしばらくエスペラントの話が続く。面白い。このサイトの読者は必読。
ただ、人工言語は出版物よりネットのほうが情報が詳しいという事実は相変わらずだが。

氏は、エスのユーザー間で太陽の色が違ったりコロケーションが異なることを指摘している。
それでいまいちエスをやってみようという気にならなかったそうだ。

p111で「意味論がまだ開発されていないわけだ。単語同士がほとんどイコールでつながっている欧州六カ国語対照辞典的な発想なんですよ。(中略)そこにアジア語、日本語が入ると、意味論的なギャップが大きくなる。私のエスペラントの世界性に対する疑問が、そこにあるんです」と発言。
p112まで議論が続くが、結局田中が、そういう議論はエスペラントでやるわけですよとはぐらかし、終了。
そ こ で は ぐ ら か す な よ!
出版物の限界を感じる。

・p100

田中のもとにある日、宇宙語を開発したので見てくださいという人がパンフレットを送ってきたそうだ。
日本人だそうだ。誰だろう。ネット展開してるのかな。

・p109

田中「十九世紀がつくった言語学のタブーに口を封じられている状態ではよくない」とし、人工言語を言語学が対象としない風潮を否定。
いいぞ、いけいけw

・p127

世界で抽象概念を供給した言語は鈴木によると、古代中国語、古代ギリシャ語、ラテン語、サンスクリットとアラビア語だそうだ。

アルカの場合すべて供給源がアルカなのだが、地球ではこういうことは起きない。
古代文明は古代の技術レベルでは住みやすいが、次第に住みにくくなるからだ。古代文明はどこも現在はロクに栄えていない。
だがアルカは神がアルバザードにご執心という幻想世界だ。だからこそ、アルカの語彙の供給源が常にアルカでありえたわけだ。そういうところにオリジナリティ。

・p128-132

日本語は音素数が少なく、そのせいで概念の内包の少ない表現を好む。
例えば「なく」を英語にするとcry以外にたくさんの語がある。日本語は「なく」だけで表す。
この性質のせいで日本語は科学に向かない言語なのだと鈴木は主張。

躍起になってこういう意見は誰かがつぶしにかかりそうだが、僕は賛成。
ちょっとした概念でも4モーラ8音素も使う言語だと、学術用語が長くなりすぎて使いづらいのは事実。

・p170

――から、またエスペラントの議論が。田中がいるからだろうな。

・p199

日本の言語学は外国の言語学の受け売りばかりだという論調。
鈴木曰く、「日本の学問は花屋の切り花だ」だそうだ。

知識人は多い国だ。言語を知っている人は多い。
だが、今までにない言語を作ろうという人はいない。

僕がそうなのは、きっといくらかフランス人だからだ。

・p207

田中がエーコの『完全言語の探究』の書評を書いたエピソード。
ようするに「アダムの言語への回帰は全然面白くない」ということを言っている。
そうか、あのとき興味持ってなかったんだ……。

・p230

文学者や芸術家は自殺するのに、なぜか言語学者は自殺しないという。

そういえばそうだ。なんでだろう。
言語学版を見ていて思うのだが、ほかの板より腐った根性のやつが多い。
言語学やってる人間ってたしかに特殊だと思う。性根が悪い人間が多い気がする。

言語をやる以上、ふつうの男より女脳なんだろう。そこに売れない学問という社会への恨みと、高い学歴によるプライドを足すと、ああなる。
で、そういう俺様人間というのは地震が起こっても最後まで生き残る。だから自殺などしないのだろう。

・p253

鈴木「日本の言語学者は哲学とか、世界観とか、そういうものと全く関係なしに言語学をやっているというのは面白いね」

それはキリスト教という制約がないからだろうな。
人工言語の歴史にも、アダムの言語への回帰という派閥があった。完全言語で、いまやエーコの世界だ。
これはもろキリスト教の影響を受けている。

大体にして学問なんて布教とともに育ってきたものが多い。
でも日本にはそういうのがないから、学問は純粋に知的好奇心の産物だ。
そういうことを考えると、アプリオリ人工言語をこの規模で作っているアルカは、恐らく西洋では異端で、さらにマイナーなのではないか。
となると、アルカのような言語はほかに存在しないのではないかと、なおさら思う。