・人工言語はいつ芸術になったか

もともと人工言語は学問ではなかった。

ヒルデガルトのころは学問ではなく、宗教というか異言とでも言うべきものであった。
自分用の暗号という用途もあり、学問ではなかった。

ルルスのころは布教ツールと考えられていた。

17世紀前後になると真正の文字研究として学問性を帯びてくる。
17世紀前後が人工言語が唯一学問だった時代だ。

このころはラテン語にかわる世界共通語の作成という意義があった。
真正の文字研究はバベルの塔以前の言語への回帰という宗教的なものと、ラテン語にかわる世界共通語の作成という2つの意義があった。

後者が最も学問といえるものだった。
人類は生活をよりよくするものを何であろうと研究する動物で、人工言語も一度だけ脚光を浴びたのだ。

だけどフランス語の台頭で、その需要がなくなった。別に共通語なんていらないやということになった。
フランス語の台頭が学問としての人工言語を殺した。
パリ言語学会が留めといえる。

その後、ザメンホフになるわけだが、あれは僕は学問ではなく社会運動だと思う。
17C前後はライプニッツなどの大物哲学者も人工言語を作っていた。

が、エスは被差別民のユダヤと差別民との間の軋轢から生まれた思想色を帯びているため、ライプニッツらのやろうとした主旨とは異なる。
エスが思想っぽく社会運動っぽく見えるのはその辺に端を発するものだ。

ただ、このころはまだ世界共通語という17Cライクな意思を持った人間もいたことだろう。
そういう意味ではエスの普及と使用はやや学問的であったともいえる。

ところが第二次大戦のあと、英語が席捲するようになる。フランス語の台頭に次ぐ大イベントだ。
これにより、世界共通語は再び「いらなくね?」という波にぶつかる。
そして人工言語、特にエス系は思想と社会運動に散っていく。

純粋な学問として見る人間は人工言語から手を引いたわけだ。
ライプニッツが現代人だったら人工言語は作らなかったと思う。きっと最先端科学でも研究してたさ。

一方、芸術としての人工言語はゴドウィンのころからあったのだが、世の中の役に立つわけではないから、特に脚光を浴びたことはない。
まともな思考の人は、そんなものに興味を示さない。もっと自分の生活を直接よくするものに目が行くからね。
人工言語なんぞより、汗を効率よく発散してくれるスポーツウェアのほうが重要課題なのだよ。

この状況で、人工言語は学問も思想も異言も色あせてしまったので、相対的に芸術の占める割合が増えた。
それが現状だ。

また、先進国らしく、日本では個人主義も強くなってきたので、世界語とはむしろ逆の流れの思想が起こってきた。
そこで芸術としての人工言語もだんだん受容されてくるわけだ。
新生人工言語論も50年前なら見向きもされなかったはずだ。当時には当時のパラダイムがあるからね。

恐らく人工言語が芸術になったのは戦後。
社会運動としてのエスが傾いてきたころから徐々に。
特にネットが普及して、個人が自分の思想を簡単にバラまけるようになってから。
つまり、最低限windows95が出てきたあとなんだけど、ネットの普及も考えるとまぁ21Cと見ていいだろう。
となると、21Cは芸術としての人工言語の時代になったわけだ。


最近気になるのはアメリカの懐だ。
サブプライムで傾き、原油も高騰し、しかも年金受給者が今度爆発する。
さぁ、国技の戦争を見せるのかという状況だ。

で、もしアメリカが傾いたらどうなるだろう?
現在の世界語は英語で、第三国の多くは英語のピジンができる。
外からの金に依存している国の商人はほぼ必ずピジン英語ができる。

ところが、英語が力を持たなくなれば、いずれこの状態は崩れる。
もちろん言語はすぐに変わるものじゃない。今日アメリカが沈んでも、しばらく観光地では英語が使われる。
だがそんなもの30年も持つまい。

英語がつぶれても中国語が台頭することはないな。
今の英語ほどには台頭しまい。

英語という君主がいなくなれば、共和制になるだろうね。
つまり、大型の自然言語が数個あるけど、どれもダントツではないというような。

アメリカの経済を見ていると、そうなるのがあと30年前後。
そのとき、世界語としての人工言語の需要が出てくる。

需要っていっても、マスコミが記事に困って取り上げたのを、一部の純粋な国民が弄されるだけなんだけどね。
ほとんどの人は真面目に取らないし、実際その試みが成功することもない。
そのことをここの読者はよく知ってるけど、未来人がそういう茶番をすることは、たとえ30年後にこのサイトがあっても変わらないのだ。

それが歴史の繰り返しだとほとんどの未来人は気付かないわけだから、書籍が出たり、第二のザメンホフがでたりするのだろう。
そのとき知識人が過去の歴史を持ちだしても、民衆は一顧だにしない。それが民衆というものだ。

で、第二のザメンホフが出るのが30年後くらいだとして、そのとき20歳前後だとすると、あと10年後に生まれる子供がそうなるわけか。
まぁ実際の幅を考えると、今の赤ちゃんからせいぜい20年先の赤ちゃんまでかな。

そのときエスの再台頭は起こらない。
エスは今もう老人会だから、30年後にはほとんど死んでる。若手は少ないからね。
それに、元が西洋中心主義の言語だから、30年後の世界には失笑されて終わるだろう。

ふぅむ、俺がオッサンになったころに、自分の子どものような人間に、
「アンタのやってる芸術言語は無価値で意味のないものだ! 文化的な差に価値を見出すなど愚かしい。万民に共通する要素を抽出した世界語こそ望ましいのだ!」
なとと糾弾される日が来るのかも。それは面白いなぁ。