中学の頃、こんなことを考えた。
「ファイアって唱えれば火が出る。
だが英語ではfireなのだから、外人がファイアと聞いてもきっと火のことだと理解できない。
なのに火がちゃんと出るのはなんでだろう。
魔法の神様は日本語を理解できるのか?」
「ファイアって唱えれば火が出る。
だが英語ではfireなのだから、外人がファイアと聞いてもきっと火のことだと理解できない。
なのに火がちゃんと出るのはなんでだろう。
魔法の神様は日本語を理解できるのか?」
この理屈で言うと、魔法を音韻と考えている。
一方、音声と捉えることもできる。
[faia]という物理的な音声の組み合わせにより、火という自然現象が起こるとすれば、魔法は音声ということになる。
[faia]という物理的な音声の組み合わせにより、火という自然現象が起こるとすれば、魔法は音声ということになる。
アルカの場合、魔法は音韻だ。
音声の場合、魔法は言語と分離し、魔法における言語の重要性が落ちるからだ。
[faia]という音声で魔法が成立するなら、何語であろうと関係ないわけだ。
音声の場合、魔法は言語と分離し、魔法における言語の重要性が落ちるからだ。
[faia]という音声で魔法が成立するなら、何語であろうと関係ないわけだ。
音韻の場合、誰がその呪文を正しい呪文と承認するのだろう。
スレイヤーズの場合は魔族だ。ドラグスレイブはシャブラニグドゥが承認する音韻タイプの魔法体系だ。
スレイヤーズの場合は魔族だ。ドラグスレイブはシャブラニグドゥが承認する音韻タイプの魔法体系だ。
ではアルカはどうか。
恐らく自己承認だろう。
呪文を唱えたことで自分自身がその気になる。魔法が使えるような気になることが重要で、自己暗示の一種だ。
蜃気楼みたいなもので、実際に存在しなくてもあるように感じれば、自分にとってそのものは存在するのだ。
恐らく自己承認だろう。
呪文を唱えたことで自分自身がその気になる。魔法が使えるような気になることが重要で、自己暗示の一種だ。
蜃気楼みたいなもので、実際に存在しなくてもあるように感じれば、自分にとってそのものは存在するのだ。
恐らく呪文もそれと同じ。私は魔法使いですというモードをオンにするための自己暗示で、承認者は自分。
だから承認には自分の使える言語が必要で、音声の問題じゃなくて音韻の問題になる。
術者がその気になった時点でヴィルが魔法に姿を変えるというわけだ。
だから承認には自分の使える言語が必要で、音声の問題じゃなくて音韻の問題になる。
術者がその気になった時点でヴィルが魔法に姿を変えるというわけだ。
自己承認型の魔法体系は、お上の力を借りないし、自然物(エレメンタル)の力も借りないという点で特徴的だ。
自分が認めた自分の力という体系であり、これは昨今の個人主義では受け入れやすいし、オンリーワン思想にも受け入れられやすい。
自分が認めた自分の力という体系であり、これは昨今の個人主義では受け入れやすいし、オンリーワン思想にも受け入れられやすい。
脱線するが、こう考えると、魔法体系から当時の世相って見えてくるかもしれない。
お上が魔法を承認するようなシステムは、そのような現実社会を反映しているのではないか。
アルカの魔法体系はアンティスの個人主義や経験主義を反映しているのではないか。
というわけで、魔法も文化なんだなぁと思うわけだ。
お上が魔法を承認するようなシステムは、そのような現実社会を反映しているのではないか。
アルカの魔法体系はアンティスの個人主義や経験主義を反映しているのではないか。
というわけで、魔法も文化なんだなぁと思うわけだ。