架空の世界くらい理想的であってもよさそうなものだが、リアリティを追及すると架空世界にも格差は存在する。
100の資源を10人に10ずつ分けるのは理想論だ。実際は強いやつが弱者から搾取する。人間がいるかぎり、格差は生まれる。
従ってアルバザードにも格差がある。

格差の最下層が奴隷だ。アルバザードは奴隷制を認めていない。非人道的という理由だ。
だがそれは建前の話。実際には奴隷が存在する。

アルバザードは総中流社会なのに、なぜ奴隷ができるか。それは中流社会を生む原因と関与している。
アルバザードに少子高齢化や年金問題が起きず福祉国家を保てる理由は、人口の徹底的な調整によるものだ。
政府が国民に何人子供を産ませるかを決めている。

上層は複数の子を作ることができ、下層は一人も作れないというような規制だ。
簡単にいえば、勝ち組は遺伝子を残せ、ドキュンは子供を残せないというシステムだ。
日本も大体こうなのだが、ギャルはギャル男にすぐ股を開くので、要らない子供が増える。

アルバザードもそれは同じだ。恋人になるには役所に申請しないといけないが、ドキュンは勝手にセックスをする。
結果子供が産まれればどうなるか。親は逮捕される。子供は処分される。
だが、処分されるのは役所が子供を捕獲した場合のみだ。ドキュン親は自分の逮捕を恐れるため、子供を捨てる。

結果、捨て子があぶれる。ふつうは餓死するはずだが、アルバザードではそうはならない。
なぜならそういう子供を奴隷として拾う業者がいるからだ。

捨て子にはアンセが発行されない。うっかり街に出て職質を受ければ捕獲され、処分される。
だから奴隷の子供は奴隷商から逃げられない。アンセがなければ物も買えないため、餓死するしかない。だから奴隷商に従う。

奴隷商は子供を拾ったり買ったりする。
少年は肉体労働や3K労働をさせられる。
アルバザードの市街にそういう労働者が入り込むが、人々は見て見ぬふりをする。
自由市民は彼らがいるおかげで自分が3Kをしなくて済んでいることを知っているからだ。

一方、少女は「ゆゆか」のような風俗店に売られる。
「ゆゆ」は客に気に入られて身受けされれば自由市民になれる。
年季が上がるのが28歳。身請けされなければ、一部の賢い連中は教育係や事務に回るが、そうでない女は臓器を摘出され、処分される。

少年奴隷からすれば男女差別に見えるが、そうでもない。
ひ弱な少女やブスは食肉・飼料・肥料・医療品の原材料として処分されるからだ。
少年はブサイクでも殺されないという利点がある。

アルバザード政府はこの事実上の奴隷制を黙殺している。
中流階級の生活を維持するために必要だからだ。
特に下層にとっては奴隷がいなければ奴隷の仕事をするのが自分たちになるので、死活問題だ。

この状況でもアルバザード政府は非難を受け入れない。
アルバザードが奴隷制を指示しているわけではなく、人口調節の結果、従わないドキュンが勝手に子供を作るのが悪いという理屈だから、政府は責任を認めない。

だが国際社会の中では奴隷を否定せざるをえない。
そこでアルバザード政府は奴隷をやめましょう、違法セックスをやめましょう、と触れて回る。
しかし、人口調整を辞めようとは絶対に言わない。既得権益者である中層以上にとっては奴隷は必要悪だからだ。
表向きには非人道的な奴隷商を取り締まろうというものの、実際は奴隷がいなくなると困るため、のらくらとやり過ごしている。

奴隷少年は危険な労働で病気になったり事故にあっても、病院にさえいけずに死ぬ。
奴隷少女は病気になっても放置されるか処分され、28を超えれば大半は処分される。
それでも奴隷は減らないし、奴隷商としては口減らしができて好都合。
したがって奴隷の平均寿命は短く、25歳ほどだ。
幼年で死ぬ人口が多いので、平均が下がっている。また、男子は労働力として40くらいまで使えるため、平均をあげている。

奴隷が暴れて市民に迷惑をかけないよう、奴隷は常に監視下にあり、工具や刃物も常に繋がれていて、自由に持ち出しできない。
なお、監視をするのは下層の社員の仕事だ。
奴隷は訴えも起こせないため、下層社員は傷物にならない程度に奴隷少女を犯したり殴ったりすることができる。下層はそれで憂さを晴らしている。

また、既得権益者は奴隷商を悪と言いながら、それによって利益を得ている自分たちのことは肯定するというダブルスタンダードを持っている。
すなわち、「自分たちアルバザード人は慈悲深いので、本来なら処分されるところを役所に通報しないでやっている。生かしてやってるだけありがたく思え」という心理だ。
だから、奴隷商は悪いが、自分たちは慈悲深いと考えている。

なお、奴隷はIDを持たないため、アルバザードの国民ではない。
従って統計には登場せず、アルバザードに奴隷はいないことになっているし、中層の国民ばかりということになっている。
統計上の平均寿命も長く、幸せに生きていると回答する人間の割合も極めて多い。