・勇太のこと

今日のこと。
社会人としてこのままじゃよくないよなと思った。
息子だし、金を貯めておいてやろうかなと。

一時間くらい考えて、「それって自分が勇太のためを思っているのではなく、単に自分の脛が痛いのを払拭したいだけじゃないか」と気付いた。
免罪符を養育費で買おうというのか?傷でも背負ってろ。

蛍に直接問いたいが、ここを見ているに賭けるしか方法がない。切ないねぇ……。
ただなぁ、何よりその蛍が「ネットで私のことを書くな。もう関わるな」と言ってたので、考えが変わってなければ、この言葉すら「キモイウザイ氏ね」と思われるのだろう。
女って別れた男に恐ろしく冷たいよなぁ。うろたんだーカルザスもびっくりだよ……orz

・トキポナとファイ

2chで話題になっていた様子。語義が広すぎて解釈を正しくできるか否かという議論だったようだ。
分析的言語といえばフランス語が思いつくのだが、フランス語はどのような語彙のシステムを持っているのだろうと思って、ジュンクに寄ってきた。

コレクションフランス語8に語彙の巻があり、3300もしたが、買ってみた。
みてると、確かに分析性が強い。mettreが「着る、被る」などを広く表す。
それどころか原義は「置く」なんだよね。どんだけ広いんだと驚く。

これでも言語って成り立つというのが凄いな。じゃあトキポナでもOKじゃないのかなと単純に思う。
フランス語の場合、動詞と目的語の組み合わせで動詞の語義が決定されたりする。
組み合わせによって語義を決定するので、逆に言えば組み合わせを常に作らないと語義が決定できない。
これはトキポナもファイも同じシステムを採用しているはず。文脈があれば理解できるのでOKだ。

一方、フランス語が分析的といっても、kili palisaで「長い野菜果物、ニンジン、バナナ、ネギなど」をいっしょくたにする類の分析はどうもやってないらしい。
これらの単語はすべて同族語ではない表現で示されているからだ。
このように、分析的な自然言語でも分析的な人工言語の特徴をすべてまっとうしているわけではない。

で、これが何を意味するかというと、自然言語にない=言語の動作保障が得られないということだ。
動作保障が得られるだろうと考えたのに実際実験失敗したのが、恥ずかしながら制アルカだ。
自分の苦い経験があるので、動作保障については言及しておこうと思いました。

ちなみに当たり前ですが、実験して動作保障を確認すれば無問題。
自然言語にない=不可能ということではないので。

・アルカの日常的な使用頻度

をniasさんに聞かれ、ふと今日思ったんだけど、俺は本によく小書きをする。
それにアルカを使うんだけど、それって日常使用に入りますかね。

こんな感じですので、ご参考までに。
http://cid-dd6eff55a81cbf67.skydrive.live.com/self.aspx/arka/lei%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc.jpg