アルカはアプリオリな人工文化アンティスを持っているため、漫画に関しても独自の技法を持っていることになる。
私は漫画のプロではないが、できるだけアプリオリな漫画技法を目指した。

とはいえ、あまりアプリオリにしすぎると、読み手に意味が理解されなくなる。
漫画というのは現実からの崩し(デフォルメ)なので、崩し方はいくらでもあるからだ。
デフォルメ手法が異なれば、読み手は理解できなくなる畏れがある。

日本に作者の数だけデフォルメがあるように、アルバザードにもたくさんのデフォルメがあるはずだ。
そこで、その中から日本人に理解しやすいデフォルメ法をピックアップする――という立場を取る。
これだとアルカの漫画のアプリオリ性が損なわれない。その立場で描いたのがねこにっきだ。
http://cid-dd6eff55a81cbf67.skydrive.live.com/self.aspx/arka/unilei1.jpg

<アルカ独特の部分>

・横書き
・左ページから右ページへ進む。コマ割も同様
・話し手が誰か分かる場合は、吹き出しにしっぽをつけない
・ジェスチャーがアルカ式(左4コマ目のシア:鉤状の指はarteのジェスチャーで、OKサイン)
・書き文字に古アルカが使われる(左4コマ目のシア:arteの幻字。左3コマ目ミーファの頬:ぐるぐるマークはロキの字を元にしている)
・服装がアルバザード(ミーファはラーサ、フェールはサメルを着ている)
・フォント(幻字になっている。しかも数種類使い分けている)

<日本と共通する部分>

・吹き出し、インク、トーンを使う。
・コマを割る。
・笑ったり泣いたりするときに目が糸目になるなど、表情の表現方法。


漫画というのは様々なデフォルメ手法があり、それは個人によって開発され、広まったものが多い。
顔の縦線でgloomyな表情を指すのは、さくらももこが始めたことだ。
ただ、これはヒトラーを殺せば別のヒトラーが現れたのと同じことだと私は考えている。
漫画が発展していけば、さくらももこがいなくても、いずれ誰かが同じような表現方法を作っただろう。

もちろんそれは日本でなくともかまわない。
韓国のマンファが日本より早く独自に成長していたとしても、恐らく日本の表現技法とそこまで異ならなかったはずだ。
というのも、人間のやることというのは大体似るようにできているからだ。
示し合わせたわけでもないのに人類は家を作って住む。風土によって家の造りが違う程度だ。
恐らく漫画もこうなる。根幹部分はどこで発展しても同じ。風土によって多少の差が出る。
従って、前者は日本とアルバザードが同じでも問題ない。
後者のみをオリジナルにすれば、アプリオリ性を維持できる。

恐らく、漫画のあらゆる要素を日本と違うものにするというやり方は賢明でない。
日本のアンチを作る時点で、かえって日本を意識していてアプリオリでないからだ。
本当のアプリオリとは、上述のように人類共通の部分と風土ごとに異なる部分に分け、後者を作ることだ。
しかもこの方が作業労力は少なくて済む。前者を作らなくて良いからだ。

ねこにっきの場合、キャラの表情に関するデフォルメは日本のデフォルメに似たものを採用した。
単純に、そのほうが読みやすいという理由がある。
あと、今回は4コマになっているが、ねこにっきは元々3コマ2コマだったりしたので、4コマというのは普遍的ではない。
聖数の4に合わせたとうのと、起承転結があるとわかりやすいというのと、単に使ってるコミスタに4コマのフォーマットがあって楽だったからという「しょうもない理由」が混ざっている。

デフォルメは記号だ。
悲しい顔をした写真を見せればアフリカ人にも中国人にも伝わる。だが漫画の表情は記号なので、相手に記号の理解がないと通じない。
現実の果樹園を見れば誰でも果樹園と分かるが、地図記号の果樹園だと知識がないかぎり読めない。それと同じことだ。

なので、日本人が持っていない記号を選ぶと、大変通じにくい。
そこで、アルバザードにもたくさんあるであろう記号の中から、近しいものを選んだというわけだ。
ふつうに左3コマ目のミーファは悩んでいるように見えるだろうし、右4のフェールは泣いているように見えるだろう。

ねこにっきでない漫画があったとしたら、日本人には分からないデフォルメをしているかもしれない。