語彙・コロケーション・慣用句の中でアプリオリにするのは、コロケーションが一番難しい。
語彙の数と違って組み合わせ的に増えるからだ。
慣用句は故事成語に結びつければ物語的に作れるため、意外と簡単だ。
語彙の数と違って組み合わせ的に増えるからだ。
慣用句は故事成語に結びつければ物語的に作れるため、意外と簡単だ。
アルカにこんな文がある。
lu mok se frem nod la.
lu mok se frem nod la.
直訳すると「彼は彼女より近く眠る」だが、実際の意味は「彼は彼女より眠りが浅い」だ。
眠りが浅いことを「近い」で表現する。これはなぜか。
眠りが浅いことを「近い」で表現する。これはなぜか。
アルカで「夢」はlondだが、「夢を見る」はin londでなくxa londという。
夢は見るものではなく、居るものだからだ。つまり夢の世界という単位で捉えている。
夢は見るものではなく、居るものだからだ。つまり夢の世界という単位で捉えている。
mok se fremの「近く」が指すのは、自分の体が眠っている現実世界からの距離だ。
現実に近いということは、夢からは遠い。従って眠りが浅い。
(厳密には夢を見るときはレム睡眠で眠りが浅いだなんだという科学的な話ではなく、語法的な問題として)
現実に近いということは、夢からは遠い。従って眠りが浅い。
(厳密には夢を見るときはレム睡眠で眠りが浅いだなんだという科学的な話ではなく、語法的な問題として)
なぜlondはxaを取るのか。
londの語源はlomodia(頭が低い+夢)だ。
古アルカでdiaは夢と幻の両方を示した。新生では夢を指すために、lomodiaからlondを派生させた。
londの語源はlomodia(頭が低い+夢)だ。
古アルカでdiaは夢と幻の両方を示した。新生では夢を指すために、lomodiaからlondを派生させた。
diaには夢と幻があるが、古い語義は夢のほうだ。
ではなぜ夢になったかというと、この幻字が「ゆりかご」の象形文字だからだ。
今はDのような形だが、元は寝ていた。
ではなぜ夢になったかというと、この幻字が「ゆりかご」の象形文字だからだ。
今はDのような形だが、元は寝ていた。
ゆりかご→夢→幻
という構図だ。その後、londとdiaに分離した。
という構図だ。その後、londとdiaに分離した。
diaはもともとゆりかごなので、「見る」ではなく「居る」が適切だった。
日本語の「ユメ」という単語の「メ」の部分の語源は「見る」だから、日本語で「夢を見る」というのは自然だ。
アルカも日本語と同じように、語源を見れば適切なコロケーションが分かる。
日本語の「ユメ」という単語の「メ」の部分の語源は「見る」だから、日本語で「夢を見る」というのは自然だ。
アルカも日本語と同じように、語源を見れば適切なコロケーションが分かる。
そして夢はいるものだから、xa londになり、mok se fremになる。
こういったコロケーションにもいちいち変遷を踏まえていかなければ、アプリオリな語法とはいえない。
逆に、アプリオリにするには、これくらいのややこしい手続きが必要ということになる。
アルカのこういった部分に、自分はクオリティを感じている。
こういったコロケーションにもいちいち変遷を踏まえていかなければ、アプリオリな語法とはいえない。
逆に、アプリオリにするには、これくらいのややこしい手続きが必要ということになる。
アルカのこういった部分に、自分はクオリティを感じている。