指小辞は「〜ちゃん」や-tyのように、小さい物や可愛い物を指すための言葉だ。
アルカでは伝統的にnを使う。
アルカでは伝統的にnを使う。
指小辞は、制までは語末にnを付けるという決まりだったが、これだと開音節にしか使えない。
それで、「「ユルトちゃん」を何と言えば良いか問題」が起こってしまったわけだ。
それで、「「ユルトちゃん」を何と言えば良いか問題」が起こってしまったわけだ。
新生では閉音節の場合、yult→yultanのように、母音+nにすることになった。
これは制からある程度見られた傾向だ。
これは制からある程度見られた傾向だ。
また、指小辞は一般名詞にも使えるようになった。
そのおかげで「お子さん」「お子ちゃま」「ねこちゃん」のような"一時的な"表現が可能になった。
制までは一時的な造語は苦手で、いちいち新語として見られていた。
そのおかげで「お子さん」「お子ちゃま」「ねこちゃん」のような"一時的な"表現が可能になった。
制までは一時的な造語は苦手で、いちいち新語として見られていた。
語末子音によって添加される母音が変わるというのが、新生の特徴だ。
tで終わるならanでいいが、lで終わるならenになるというような、ややこしいことになった。
tで終わるならanでいいが、lで終わるならenになるというような、ややこしいことになった。
とはいえ、ややこしいことには当然審美上あるいは調音上の理由がある。
例えばmの接辞がinになるには、結果的にそれがminという音になるためだ。
minは「女」という意味になるので、指小辞と結びつきやすい。
そういう理由でmの場合はinが選ばれている。
例えばmの接辞がinになるには、結果的にそれがminという音になるためだ。
minは「女」という意味になるので、指小辞と結びつきやすい。
そういう理由でmの場合はinが選ばれている。
また、s,zがx,jに変化するのは、子供の発音を模したものだ。
ほかに、lがanを避けたのは、lan(〜な人)という意味と混同しないためだ。
そういった諸々の理由があって、このようなややこしい接辞になっている。
制アルカならば取らなかった措置だろう。
ほかに、lがanを避けたのは、lan(〜な人)という意味と混同しないためだ。
そういった諸々の理由があって、このようなややこしい接辞になっている。
制アルカならば取らなかった措置だろう。
以下にまとめる。
語末 | 添加される接辞 | 例 |
開音節 | n | xian(紫亞の) |
l,r,c | en | feelen(フェールの) |
p,b,n | on | xionon(紫苑の) |
s,z,x,j | an | iidixan(イーディスちゃん)s,zはx,jにそれぞれ変化する |
t,d,h | an | yultan(ユルトの) |
m,f,v | in | reimin(おばけの) |
k,g | un | miikun(リンゴの) |
w,yは語末に来ないので、無し。
m,f,vは前の母音がo, uなど後ろ寄りだとinでなくenが付く。reim→reimin、zom→zomen
m,f,vは前の母音がo, uなど後ろ寄りだとinでなくenが付く。reim→reimin、zom→zomen