アルカの作者のセレンは子どものころに近眼になったが、目が悪くなるのに合わせて耳と鼻が顕著に敏感になった。
そもそも、近眼以前に視覚情報に対する依存度が低い。形の把握が苦手だし、人の顔も覚えない。仕事で困ることもある。
セレンにとって視覚情報はほとんど場所が占めている。たいていのことは場所で記憶している。

その代わり、耳と鼻が良い。人の顔が浮かばなくとも、「こんな匂いの人だった」という記憶をしているし、声も記憶に残っている。
多分、ヘンな人だ。そういう自分が嫌いなのだが、そうなっているので仕方ない。

アルカで一番気にするのも音だ。文法とか、そういう構造的なことには実は興味がない。
音がどのように流麗に聞こえるかに、最も関心がある。
だから芸術志向の新生アルカになって、初めてアルカを好きになれた。

リアル知人とアルカについて話すことはほとんどない。リアル友人はアルカに関心がないので。
ただ、たまに話題に上ることがあると、私が一番気にするのは、相手がアルカの音を綺麗だと思ってくれるかどうかだ。
例えばlantis t'anverとか、mark t'avelantとか、anvelentとか、そういう音はとても好きだ。
なので、Kakisさんがブログでmark t'avelantが気に入っていると言っていたときは、内心嬉しかった。


セレンが音を気にするのは、プライドが高いことも関与している気がする。
私は仕事柄英語を毎日使っているが、小学のころから英語は嫌いだった。
何が嫌かって、音がバカっぽいからだ。「アーウチ!」「オーゥ!」とか、絶対言いたくないw いや、後者は言わざるをえないけど。
ただ、ouchと書くこと自体は一切恥ずかしくない。あの英語のイントネーションを喋らなくていいから。

言語学的に言えば、英語は日本語より抑揚の激しい言語だ。
日本人というのは抑揚をつけて話すと「ハイテンションな奴」だと思う。そして「バカっぽいな」と思う。
そういうことになっているので、英語を流暢に話すと、赤面したくなる。英語を仕事にしていてもだ。
特にセレンの中学は田舎だったので、スピーチコンテストなんかで代表に選ばれたときは、学のない生徒から「あいつバカじゃね?」と言われてるだろうことを想像し、とても辞退したくなった。
(ところでハルヒの英語版を見ていたら、長門は英語でも恐ろしく抑揚のない声だった。英語にも一応日本人のような感覚はあるようだ。中国語版長門が気になる)

子供時代の経験からか、言語を音で選ぶ癖がついた。
まず、バカっぽく聞こえる言語は嫌だった。なので、高校ではドイツ語に行った。
当時の少年の中では、ドイツ語は落ち着いててカッコイイというイメージがあったのだ。
(結果的に大学では中国語をやったので主張に反するが)

アルカを作るときも、まず抑揚の少ない言語を目指した。
次に、使う音が中国とか韓国っぽい音にならないようにした。韓国は02年に行ってみるまでは、下に見ていたので。(ちなみに中国はいまだに下に見ているw)
「ちゃんちょん」聞こえる音は、セレン的に綺麗でないし、まぁ、大体の日本人もそうだろう。

つまり、「プライドが高い」→「笑われる言語は嫌。なんか凄そうに聞こえる言語がいい」→「アルカ」(←イマココ)
――という流れになっている。
ちなみに、大学では人工言語なんてやってること自体が嘲笑の的だったが、その辺りは「高尚さを持たない愚民には、自らの世界を構築する素晴らしさが(中略)フハハハハ」という発想でカバーした。
なんというか、振り返ってみると、幼稚な悪役だなぁ。……いまもか。

ただ、アンラッキーなことに、新生の母体になっている古アルカの音は、セレンからすればまったく美しくない。
「ニョヘ」とか「ヘギャ」とか、勘弁してください。ハノイとかは良いけどね。
強いという単語もヴィヴィだったが、あまり強そうじゃない。FF9だと弱いキャラの名前だしw
そういうわけで、強いはvien。このほうが強そうだし、音が綺麗だ。

どうも汚いと思う音は決まっている。綺麗なのも決まっている。
綺麗と思うのはx,f,l,vなど、日本語にない音だ。てゆうか、要するに西洋語っぽいのだ。
となると、xelfiとか理想的じゃないですかということになる。

もっとも、xだって「しゅ」は子供っぽく聞こえる。xeのような、日本語に少ない音がいい。
かといってイヤミの「シェー」は嫌いだ。その辺、難しいよね。

この辺りは高校時代に幼馴染だったヴァールに話したことがある。
その結果、彼は「じゃあ、ラルラルラとか、お前は好きなわけだな?」と言ってきた。良い指摘だw 
もちろん綺麗に聞こえない。単音として綺麗でも、全体としては綺麗に聞こえない。

逆にbeは汚い音だが、belやbeezelに使われると綺麗に聞こえる。
なんていうか、音楽に似てる。Cのコードの中ではCEAが綺麗に聞こえるわけだけど、緯音としてはDを鳴らしてもいい。
それと同じで、be自体はダメでも、単語全体の中で緯音として使えば、綺麗に聞こえることがある。

いったい、どのような音の並びなら綺麗だと感じるのだろうか。
話は変わってしまうが、とても興味深い。ある程度日本人全体に共通する感覚が出てくると思う。
それがなきゃ商品名なんか決められない。日本人全体にある程度言える傾向というのはあるだろう。

浪人のころにこの問題に興味を持って『音相』という本を読んで著者とメールをしたが、彼の研究はあのあとどうなったのだろうか。
新生になって芸術性を重視するようになったので、今一度、音相について考えてもいい時期かもしれない。