例えばアルカには「上下」「存在」といった単語がある。

上下や性別は中間概念である。
中間概念は制アルカではn対の中心形で示した。
ha(上), hi(下)→hu(上下)

新生ではそうできないので、halmolで上下を表わすことになる。しかしそれでは語形が長い。
そこで、上下、左右、性別など、よく使う概念は合成語の要素にもなることだし、別の単語を設けている。
xtar(上下)、sanl(左右)、him(性別)など。xtarはたとえばxtarez(エレベーター)などに活用されている。
体系を見ればhalmolで良いが、効率を考えてxtarを作っている。

「存在」も同様だ。「あること」なのだから、xaelないしxaで良い。
しかしxaはよく使う動詞なので、名詞として使われたら動詞と混同しやすい。
また、厳密にはxaelは「あろうとすること」なので、存在とは少しニュアンスが異なる。
それと、これは主観的だが、「存在」という名詞はそれ一概念で一語に値する概念だと、セレンには感じられた。
そこでxalという単語を当てている。

だが、これと同じことをすると、さまざまな単語の名詞形に個々の単語を作らねばならない。
殴るで殴打、聴くで聴解、見るで視聴、言うで発言、というように。
(しかも日本語だと聴くと聴解は若干ニュアンスが違うので、そこも覚えないといけないという問題がある)
これは煩雑なので、避けたい。そこで、できるだけ動名詞を使う。
ただ、その傍らでxalのような単語もあるということだ。


なお、単に品詞の変換で片付けられないものもある。つまり、殴るを殴打にすればよい例だけではない。
殴るに対して殴打は意味的にほぼ等価で、単に能動的な動名詞という品詞の変換しか行っていない。

一方、幸せという名詞は違う。
「幸せにされた」という受動的な意味のほかに、「状態」という意味も加わっているからだ。
2つ合わせてようやく「幸せにされた状態」→「幸せ」になる。(数式ではないので、完全なイコールではないが)

アルカだと、この辺りはうやむやになっている。
だからnilという語は、動詞nilとして使えば「幸せにする」で、nil(ol)のときは「幸せにされた(人)」で、名詞nilのときは「幸せ」になる。
つまり、同じnilという語形なのに、「幸せにする」「幸せにされた(人)」「幸せ」の3つの意味を持つ。

もっとも、「幸せにする」は動詞なので、統語的にほかの2つと区別できる。
だが、2,3番目は区別が難しく、文脈判断に委ねる。
つまり、nilと言ったとき、「幸せにされた(人)」と「幸せ」の区別ができない。

とはいえ、olを付けて区別すればいいというのがまずある。
さらに、文脈で判断できるので、実質的な問題はない。
la na nilなら「幸せ」だし、la et nilなら「幸せにされた人」という解釈しかありえないからだ。

ここで問題にしたいのは、アルカだと「品詞変換+状態」も単なる「品詞変換」も同一に扱われるということだ。
しかも「状態」以外にも付加できる要素はあるはずで、派生語を考えるときには考察する価値があると思われる。