僕らは「愛してる」と言われれば、嬉しい。
女の子に「好きよ」と言われれば、どきどきする。
「死ね」と言われれば、悲しい。
女の子に「好きよ」と言われれば、どきどきする。
「死ね」と言われれば、悲しい。
母語というのは強烈な呪文だ。呪詛を聞き続ければ、体調を崩すほどだ。
呪いというのは現実に存在するといってもいいのではないか。呪詛という形で。
呪いというのは現実に存在するといってもいいのではないか。呪詛という形で。
さて、人工言語ではどうか。
当然心を持ちうるが、母語ほど感じられるだろうか。
当然心を持ちうるが、母語ほど感じられるだろうか。
最初の段階では、母語に置き換えて理解するしかない。つまり――
non tiia tyu→だいすき→嬉しい
――というフローだ。
このフローだと、直接心を作っているのは、母語だ。人工言語で感じているわけではない。
これでは心を持っているといえない。
このフローだと、直接心を作っているのは、母語だ。人工言語で感じているわけではない。
これでは心を持っているといえない。
心を持っているのはこういうフローだ。
non tiia tyu→na nau
アルカをアルカで感じれば、心を持っているといえる。
実は、短文では比較的すぐこの状態になれる。
だから、心は比較的持ちやすい。
だから、心は比較的持ちやすい。
むしろ、複雑な説明文のほうが母語の助けがいる。でも説明文は心と無縁だ。
だから、言語と心は、言語と説明文よりも、距離が近い。
一見人工言語で心を持つのは難しく見えるが、実は説明文を人工言語で理解するよりは簡単なのだ。
だから、言語と心は、言語と説明文よりも、距離が近い。
一見人工言語で心を持つのは難しく見えるが、実は説明文を人工言語で理解するよりは簡単なのだ。
以上は一般論。一般的な人工言語に当てはまる論。以下は感想。
さて、それでもやっぱり心を持つのって、難しいのだ。
難しい順序は決まっている。
さて、それでもやっぱり心を持つのって、難しいのだ。
難しい順序は決まっている。
楽→喜→哀→怒
この順だ。特に、怒って喚き散らすのを人工言語でできたら大したものだ。
リディアは怒るときは日本語だ。セレンも。
リディアの場合、真剣にキレると母語で叫び出す。もう手がつけられない神の領域だ。
リディアは怒るときは日本語だ。セレンも。
リディアの場合、真剣にキレると母語で叫び出す。もう手がつけられない神の領域だ。
逆に、愛情は比較的レベルが低い。そもそもセックスの最中の会話など、たかが知れてるからだ。
セックスを人工言語でするのはもっと簡単だ。人工言語でセックスした人間というのは少ないと思うが、まぁ、わりとふつうだ。
てゆうか、どんなプレイですか、人工言語プレイって、とか思うんですが。隠語プレイとかの比じゃないですね。
話が下に行きましたね。すみません。
セックスを人工言語でするのはもっと簡単だ。人工言語でセックスした人間というのは少ないと思うが、まぁ、わりとふつうだ。
てゆうか、どんなプレイですか、人工言語プレイって、とか思うんですが。隠語プレイとかの比じゃないですね。
話が下に行きましたね。すみません。