同2で書いたとおり、人工言語より母語のほうが心に響くことが多い。
だが、アルカのほうが日本語より響くこともある。

セレンの場合、2パターンある。
ひとつは辞書などで。もうひとつは会話で。

辞書を読んでいて、綺麗な言い回しや単語に出会うと、「うおぉ、こんな美しい表現があるのか」とか「こんなカッコいい表現があるのか」という気持ちになる。
自分がファンタジーの世界の登場人物になった気持になり、一瞬だが、魔法が実在する世界にいるような錯覚になる。(病気ですよね、分かります)

例えば、宣教師という単語がある。なんだか漢字を見ると、とても固い。
母語には何も感じない。

アルカではこれをsorxerentという。
音が気に入っている。センキョウシですとは名乗りたくないが、ソルシェレントなら名刺に書きたい。
そして語源が「月の使者」だ。これが個人的にクリティカルヒットだ。

なんですか、月の使者とか。しかも音がsorxerentとか。
同じシニフィエを指しているのに、かくもイメージが違うものか。



で、ここに心が生まれるわけです。
「あっ、この言葉、かっこいいな」という心。
そこに自己満足や、芸術的な感動や、美意識が生まれる。これが醍醐味。

「こういう綺麗な単語を持つ言語と民族ってどんななんだろう」という疑問が湧き、色々想像が生まれる。
そしてその想像に浸ることで、つらい現実を忘れられる。それが、自分にとってアルカの醍醐味。

大人になるとですね、リアリストになるんです。
子供のころはアニメにハマれたのに、ハマれなくなる。(例外な人もいる)

昔は簡単に自分を騙せたのに、大人になると理路整然と騙さないと騙されなくなる。
営業を説得するかのようなハードスタンスで、大人びたクサレ自分を嘘の世界に引きずり込まなければならない。
そうでないと、自分は夢も見れずに現実で苦しみ続ける。

この苦しむ自分は難儀な奴で、救われたいのに夢を見ようとしない。
せっかく夢を見せてるのに、受け入れない。
こいつが受け入れるには、どこまでも嘘をリアルにしなければならない。(嘘というのは聞こえが悪いか。ファンタジー、とか?)
それにはアルカが必要だ。ふつうは言語にはいかない。セレンの場合は、そういう選択をしたという話。