アルカのアクサンは大文字で示す。日本語のアクサンはカタカナで示す。日本語は東京弁を前提とする。
ヴェルディアもアルテナも、ルにアクサンを置くか、平板化する。エスティアは平板化する。
verdiaはvErdiaで、artenaはartenAになる。estiaはestiAになる。
幻日を比べると、ヴェルディアだけ食い違っている。
verdiaはvErdiaで、artenaはartenAになる。estiaはestiAになる。
幻日を比べると、ヴェルディアだけ食い違っている。
平板は語末がMMのときに起こる。日本語の場合、ンは単体でMになれるので、ファザコンなどは平板になれる。
また、平板は4モーラ前後で起こりやすい。例えば7モーラで平板をすると、声の高さを最後まで維持するのが疲れるので、アルカはしない。ただし日本語はする。
この実験をリディアでしてみた。「ぼうそうぞくしょうねんどめ」という架空の単語を発音させたら、やはり平板にせず、「ぼうそうぞく」と「しょうねんどめ」で切っていた。この実験を日本語がビタ一分からない外人で試してみたい。
また、平板は4モーラ前後で起こりやすい。例えば7モーラで平板をすると、声の高さを最後まで維持するのが疲れるので、アルカはしない。ただし日本語はする。
この実験をリディアでしてみた。「ぼうそうぞくしょうねんどめ」という架空の単語を発音させたら、やはり平板にせず、「ぼうそうぞく」と「しょうねんどめ」で切っていた。この実験を日本語がビタ一分からない外人で試してみたい。
語末がMMの場合、平板にするか否かに分かれる。では平板を選択する理由は何か。
ヴェルディアもアルテナも「ル」にアクサンないし平板だ。
しかしエスティアは「ス」にアクサンはおかしい。もしアクサンを置くと、発音が変わる。estiaという発音から、esutiaに変わる。
そう、日本語はエスティアといっても実際はestiaと発音しているので、sにアクサンを置こうとすると母音を挿入しなければいけない。そこに違和感を感じる人はエスティアを平板化する。
日本語の場合、ルは元々luと発音するので、アクサンを置ける。だからアルテナは「あルてな」でも「あるてナ」でもいい。
しかしエスティアは「ス」にアクサンはおかしい。もしアクサンを置くと、発音が変わる。estiaという発音から、esutiaに変わる。
そう、日本語はエスティアといっても実際はestiaと発音しているので、sにアクサンを置こうとすると母音を挿入しなければいけない。そこに違和感を感じる人はエスティアを平板化する。
日本語の場合、ルは元々luと発音するので、アクサンを置ける。だからアルテナは「あルてな」でも「あるてナ」でもいい。
もうひとつ平板化する理由がある。緯音の存在だ。estiaにおいてsは緯音になる。これについて説明する。
もしエスティアを平板化せず、かつ「えスてぃあ」にもしないとしたら、「エすてぃあ」にするしかない。
では、「エすてぃあ」を発音してみてほしい。sが次のtiを発音するために下がったでしょう?
一方、平板の「えすてぃア」を発音してほしい。平板は実際には低高高高と発音する。こうなるとtiを上げるために、自然と緯音のsが上がる。
子音には音程がつけられない。だが低高という流れの中にあれば、相対的にその子音は高く聞こえる。
もしエスティアを平板化せず、かつ「えスてぃあ」にもしないとしたら、「エすてぃあ」にするしかない。
では、「エすてぃあ」を発音してみてほしい。sが次のtiを発音するために下がったでしょう?
一方、平板の「えすてぃア」を発音してほしい。平板は実際には低高高高と発音する。こうなるとtiを上げるために、自然と緯音のsが上がる。
子音には音程がつけられない。だが低高という流れの中にあれば、相対的にその子音は高く聞こえる。
本来日本語の場合、外来語は後ろから3モーラ目にアクサンを置く。
だからエスティアは「えスてぃあ」になるのが原則だ。
しかしスはsと発音しているので、アクサンを置きがたい。
そこで「エすてぃあ」にするか「えすてぃア」にするかの選択になるが、平板を選べば本来アクサンのあったsの部分が擬似的に高く聞こえる。
だからエスティアは平板化しやすい。
だからエスティアは「えスてぃあ」になるのが原則だ。
しかしスはsと発音しているので、アクサンを置きがたい。
そこで「エすてぃあ」にするか「えすてぃア」にするかの選択になるが、平板を選べば本来アクサンのあったsの部分が擬似的に高く聞こえる。
だからエスティアは平板化しやすい。
ではsでなくkなら?
同じことだと予想される。無声閉鎖音なので。
検証してみると、aktaka(アクタカ)という単語は幻日ともに平板化する。クにアクサンを置けないからだ。
同じことだと予想される。無声閉鎖音なので。
検証してみると、aktaka(アクタカ)という単語は幻日ともに平板化する。クにアクサンを置けないからだ。
一方、ヴェルディアは違う。ルにはアクサンが置ける。日本語では平板化してもしなくてもルを強くできる。平板化しても結局ルで上がるので同じこと。
しかしアルカはそうではない。verdiaの後ろから3モーラ目はrだ。rは子音なのでアクサンが置けない。だから平板化する。
と、ここまではestiaと同じ。しかしverdiaの場合、vErdiaもありえる。Estiaはなかったのに、vErdiaはある。ここが違いで、なぜそうなるのだろうか。
しかしアルカはそうではない。verdiaの後ろから3モーラ目はrだ。rは子音なのでアクサンが置けない。だから平板化する。
と、ここまではestiaと同じ。しかしverdiaの場合、vErdiaもありえる。Estiaはなかったのに、vErdiaはある。ここが違いで、なぜそうなるのだろうか。
それはrがsと違って有声子音で、しかも母音に近いからだ。つまり直前の母音eと音声学的な性質が似ているということだ。
ここでvErdiaと発音してほしい。なるべく母音に近づけて「ヴェルディア」ではなく「ヴェーディア」っぽく。一方、Estiaもお願いする。
どうだろう、rのほうがsより高いではないか。なぜかというと、rは母音に近いので母音に引っ張られるからだ。
ここでvErdiaと発音してほしい。なるべく母音に近づけて「ヴェルディア」ではなく「ヴェーディア」っぽく。一方、Estiaもお願いする。
どうだろう、rのほうがsより高いではないか。なぜかというと、rは母音に近いので母音に引っ張られるからだ。
つまりrでは頭にアクサンを置いても、rも母音と混ざって高く発音され、アクサンっぽさを失わない。
本来ve/r/di/aだと3モーラ目はrだから、ここを高くしたい。それができないから平板化するのだが、veを強くしてもeに引っ張られてrが高くなる。
だからestiaと違い、verdiaは平板だけでなくvErdiaもあるのだ。
本来ve/r/di/aだと3モーラ目はrだから、ここを高くしたい。それができないから平板化するのだが、veを強くしてもeに引っ張られてrが高くなる。
だからestiaと違い、verdiaは平板だけでなくvErdiaもあるのだ。
そしてこれが何かというと、armivaとartenaが音節が極めて似ているのに、armivaはArmivaでartenaはartenAと分かれていることの説明が付くのだ。
さらにもうひとつ追加しよう。
もしasmivaとastenaだった場合、どうか。rをsに変えただけだ。すると面白いことが起こる。
asmivaはAsmivaもasmivAもどっちもありえると思うだろう。もっと言えば日本語の場合、「あスみば」が一番しっくりくるということもあるだろう。
一方。astenaはestiaと同じく平板が自然で、Estenaは苦しいと感じるはずだ。
もしasmivaとastenaだった場合、どうか。rをsに変えただけだ。すると面白いことが起こる。
asmivaはAsmivaもasmivAもどっちもありえると思うだろう。もっと言えば日本語の場合、「あスみば」が一番しっくりくるということもあるだろう。
一方。astenaはestiaと同じく平板が自然で、Estenaは苦しいと感じるはずだ。
これはsの同化による。asmivaのsは同化によって有声化しやすい。さながらazmivaのように。
となると先ほどのrと同じく有声音になるから、verdiaとかと同じく頭が高いパターンもありえるというわけだ。
一方、日本語で考えた場合、アスミヴァのスは同化して有声化しやすくなるため、ヴェルディアのルと同じく、後ろから3モーラ目の「ス」にアクサンが置きやすくなる。
そのため、アルカと異なり「あスみヴぁ」か「あすみヴァ」になり、「アすみヴぁ」は排除される。
だがいずれにせよ、sの有声化が両言語に影響を及ぼしているのは共通だ。
(ちなみにこのsは実際にzと発音されるといっているのではないので注意。同化によって耳が引っ張られるという意味でのみ使っている)
となると先ほどのrと同じく有声音になるから、verdiaとかと同じく頭が高いパターンもありえるというわけだ。
一方、日本語で考えた場合、アスミヴァのスは同化して有声化しやすくなるため、ヴェルディアのルと同じく、後ろから3モーラ目の「ス」にアクサンが置きやすくなる。
そのため、アルカと異なり「あスみヴぁ」か「あすみヴァ」になり、「アすみヴぁ」は排除される。
だがいずれにせよ、sの有声化が両言語に影響を及ぼしているのは共通だ。
(ちなみにこのsは実際にzと発音されるといっているのではないので注意。同化によって耳が引っ張られるという意味でのみ使っている)
なお、語末がMMでも同じ母音が連続すれば、平板化は防がれる。
hestaaの場合、hEstaaになる。これはhestaAが極めて言いにくいからだろう。
hestaaの場合、hEstaaになる。これはhestaAが極めて言いにくいからだろう。
まとめると――
1:平板化は「CV C CV (C)V」において、C2,C3ともに無声音である際、最も起きやすいといえる。
その理由は本来アクサンが置かれる後ろから3モーラ目にある緯音であるC2を少しでもアクサンのように高く見せかけるため。
2:C2が有声音の場合、語頭アクセントも可能性が出てくる。
3:C3が有声音の場合、C2の有声化により、語頭アクセントも可能性が出てくる。
4:語末に同じ母音の連続があれば、平板化はしない。
5:もし「CV C CV (C)V」においてC2とC3が清音なのにアクサンを置くなら、母音添加が起こる。だが、アルカでは起こらない。
1:平板化は「CV C CV (C)V」において、C2,C3ともに無声音である際、最も起きやすいといえる。
その理由は本来アクサンが置かれる後ろから3モーラ目にある緯音であるC2を少しでもアクサンのように高く見せかけるため。
2:C2が有声音の場合、語頭アクセントも可能性が出てくる。
3:C3が有声音の場合、C2の有声化により、語頭アクセントも可能性が出てくる。
4:語末に同じ母音の連続があれば、平板化はしない。
5:もし「CV C CV (C)V」においてC2とC3が清音なのにアクサンを置くなら、母音添加が起こる。だが、アルカでは起こらない。
――となる。恐らくアルカでも日本語でも言えることではないか。
反論募集中。
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