純詞とは文頭・文中・文末に現われ、文全体を修飾するものである。
純詞は発生的には格詞や形副詞から来ているものが多い。
カンマに当たるツンクという点記号は、修飾する文との間に随意に付けられる。
es ti sot? (何でそうしたの?)
len , la metat melk! (やはりあいつが時計を落としたのか!)
純詞は発生的には格詞や形副詞から来ているものが多い。
カンマに当たるツンクという点記号は、修飾する文との間に随意に付けられる。
es ti sot? (何でそうしたの?)
len , la metat melk! (やはりあいつが時計を落としたのか!)
文頭に来るものは文法的で客観的なものが多く、文末に来るものは心情的でモダリティを表わすものが多い。
例えばsin(命題に対して嫌悪感)、siina(命題に対して好感)、kok(確認)、sei(不確定)、 na(〜な気がする)などはすべて文末純詞である。
la sontat an(彼は私を撫でた)
la sontat an siina (彼は私を撫でてくれた)
例えばsin(命題に対して嫌悪感)、siina(命題に対して好感)、kok(確認)、sei(不確定)、 na(〜な気がする)などはすべて文末純詞である。
la sontat an(彼は私を撫でた)
la sontat an siina (彼は私を撫でてくれた)
また文頭には、一般に接続詞と勘違いされやすいson(では),yan(そして),tal(しかし),veil(さもなくば),man(なぜなら)などが来る。
これらは格詞でも良いが、純詞にしても良い。
格詞にした場合、動詞の時制が主節との対照になるので注意。
これらは格詞でも良いが、純詞にしても良い。
格詞にした場合、動詞の時制が主節との対照になるので注意。
なお、文中に来る純詞は挿入として扱われる。an, hao, ket(私は、当然のことだが、行った)のように。
文末純詞は心を作る
古アルカは話者の位相や心情をよく表す言語であったが、制アルカの機械的なやり方で位相表現が減った。
ところが後期制アルカになるにつれて位相表現が特に文末純詞で発達した。
これを見るに、アルカという言語は根本的に位相表現が好きらしい。
ところが後期制アルカになるにつれて位相表現が特に文末純詞で発達した。
これを見るに、アルカという言語は根本的に位相表現が好きらしい。
新生もそれを踏襲しており、位相表現が細かい。
女性であるか、若いか、美人か、大人しいか、上流階級か、何信者か、何人か。
こういうのが位相だが、位相の違いを最もよく表すのが文末純詞である。
女性であるか、若いか、美人か、大人しいか、上流階級か、何信者か、何人か。
こういうのが位相だが、位相の違いを最もよく表すのが文末純詞である。
また、話者の心理状態を描写するのも文末純詞である。
従って、文末純詞が心を作ると言っても過言ではない。
従って、文末純詞が心を作ると言っても過言ではない。
同じ不確実の文末純詞を取っても一般はsei というところ、ユンクはeyo という。
以下に文末純詞表から不確実と断定を抜き出した。
以下に文末純詞表から不確実と断定を抜き出した。
文末純詞表 | 一般(中層) | アルデン | ユール | アルベン | ユンク | ユナ |
不確実、自信なし | sei | sei | sei | sei, sea | eyo | eyo, eyoo, eyon |
確実、断定、言い切り、自信あり | dec | dec | dec, deel | dec, deca | deel | deel, deeln |
アルデンなどはユンク同様、位相名である。
このように、同じモダリティでも位相によって言葉が異なる。
この細かさは日本語以上であり、アルカが文字だけでもいかに位相を表現できるかということを示している。
このように、同じモダリティでも位相によって言葉が異なる。
この細かさは日本語以上であり、アルカが文字だけでもいかに位相を表現できるかということを示している。