位相には方言・性別・身分・年齢・立場・人間関係などによるものがある。
身分・立場は似通っている。身分は社長や総理大臣などで、立場は母親や息子といった類である。
人間関係は相手との上下関係や親密度による位相で、日本語では敬語という体系を別途持っている。

すべての位相があらゆる言語にあるわけではなく、言語ごとにラインナップはまちまちである。
また、どの位相を重視するかも言語による。例えば日本語では人間関係を重視し、敬語をひとつの体系にするが、英語やアルカには敬意表現しかない。
男女差も言語ごとにウェイトが異なる。例えば英語より日本語やアルカのほうが大きい。

アルカの位相はここであげたすべての位相があるが、とりまとめると以下の4種に要約できる。
1:方言位相
2:環境位相
3:関係位相
4:個性位相

方言位相


同じアルバザードでもアルシアでは西方語を使い、カテージュでは南方語を使い、アルバザードでは北方語を使う。
どれも新生アルカには違わないので、言語学的には方言位相といってよい。
一般的に北方語は都ことばで気取っていると取られる。
このように、アルカには方言位相がある。

環境位相


身分と立場を合わせたもの。
同じ内容の文でも、教師として言うか母親として言うかでは異なる。
また、公人が弾劾するのと、オタク狩りが脅すのでは、同じ責めるでも言葉遣いが異なる。

環境位相は「公度(おおやけの度合い)」で測ることができる。
公であるほど文法的に正しい省略のない言い方をする。
また、語彙についてはseet系を使う傾向がある。

関係位相


相手の環境とこちらの環境によって相対的に決まるものを関係位相と呼ぶ。
話し手の環境だけで変わらないのがポイントである。

リディア→ユルト:"leen yultan, lax piyo nono?"(ねーぇ、ユルトちゃん、あたちのぴよちゃんほしい?)
リディア→セレン:"nee seren sou, tyu lax mive noan?"(あ、セレン君、ひよこ要る?)

個性位相


<種類>

最も特徴的なのがこの個性位相。女言葉や男言葉という範囲に留まらず、不良言葉やギャル言葉などといった細かい範囲に及ぶ位相。
男女などの性別や、活発大人しいなどの性格に基づいて、各個人の個性が10種に大別される。

まず、中立的なseetの列がある。これは無個性である。主に男が使う。女も公の場では使う。
個性を持ったものが残りの9種。これを男女に分ける。

男はarden〜pikkoまで。男を陽と陰に分ける。
陽のうち、プラスのエネルギーを持ったものをardenといい、マイナスのほうをalbenという。ardenは体育会系や運動選手や格闘家や営業部員に多い。albenは野盗やチーマーなど、不良のこと。
陰のうち、知的で芯の強いものをyuulといい、大人しく気の弱いものをpikkoという。yuulは学者や研究者に多い。pikkoは主夫やオタクに多い。

女はamma〜yunaまで。女も陽と陰に分ける。
陽をプラスとマイナスに分ける。プラスのうち、男勝りを超えて女を捨てているものをammaという。若い女にammaは少ない。一方、男勝りで気の強いものをmayuという。ammaは食堂の豪快なおばちゃんなどをイメージするとよい。mayuは気の強い女のこと。残ったマイナスのものがganoであり、ギャルに当たる。
陰のうち、綺麗系をyunkといい、可愛い系をyunaという。20年以前はyunaが陽で、mayuなどが存在しなかった。

<どのような語彙に及ぶか>

アルカでは、自己と他者をどのように捉えるかという点において、最も位相の違いが現れる。
結果的に、一人称と二人称が位相ごとに異なる。これは古アルカから引き継いだ性質である。
三人称になると途端に違いは減る。
また、日本語の終助詞と同じく、文末純詞にも及びやすい。ここではkok,sei,tiseeを挙げる。

新生はアルカシリーズの中で最も代名詞が複雑である。
そこに位相まで絡んだものだから、自然言語にも見られないほど複雑な体系が出来上がった。
e neneで示せば楽だが、なにせ音の響きが位相を表していて表現力が高いため、複雑な体系を維持した。

一人称と二人称は以下の通り。末尾にその位相の一人称と代表を挙げておく。

分類 位相名
中立 seet an ant ans antes ti tiil tiis tiiles kok sei tisee yuua
arden der derd seder seded dis din sedis sedin kak sai diser ovi
alben dai daid sedai sedid be beet bees beedes gor zor diser オレ mat
知的 yuul ami amit sean seant tir tirt setir setit sain seim tiser ryuu
柔和 pikko nou noun leno lenon tir tirt setir setit sain seim tiser ぼく eketone
頑丈 amma nor nort dena denan twa twan dilis dilin zeet eya disse アタシ
気丈 mayu nor nort tena tenan twa twan tilis tilin seet eya disse あたし kliiz
gano ner nerd sener sened bis biit sebis biidis gar zar diser ウチ
綺麗 yunk non noan lena lenan tyu tuan lilis lilin sete eyo tisse kmiir
可愛 yuna non noan lena lenan tyu tuan lilis lilin sete eyo tisse わたし ridia

見れば分かるように、個性の近い位相は語形も近い。互いに関連性がある。
だからといって活用が法則立っているわけではなく、人工言語らしい覚えやすい体系は切り捨てている。

また、一部に語の共有がある。yuulとpikkoは二人称に関しては共有している。
共有しているということは、もし二人称だけしか聞こえなかった場合、yuulかpikkoか判断できないということである。
かといってpikkoとyuulの語をすべて変えるのも考え物である。ある程度似させて共有させておくことで、両者の個性が近いことを表しているのだから。

日本語でもユールやピッコは「僕」と言うだろうが、ユールはもしかしたら「私」というかもしれない。また、ユールは「君」というだろうが、ピッコは「〜さん」と呼ぶだろう。
日本語に訳しても位相ごとに共有したりしなかったりする。一部重複という類似性によって、両者の個性が近いことを示すことができる。これと同じことがアルカでも起こっているというわけである。

なお、ほとんどの場合、一人称のほうが特徴的である。というのも、アルカでは自己をどのように捉えるかが最も位相を反映するためである。
また、ユンクとユナの違いはほとんどないが、ユナはeyoがeyonになったり、noanがnonoになったりと、言葉に遊びが多い。

三人称はmayu, yunk, yunaだけ特徴的。ただし、特徴的なのは一部のみ。

seet luut luutes laas laates tuus tuules lees leetes
mayu luan luant lain laint tuus tuules lees leetes
yunk luan luant lain laint tutu tutul lele leent
yuna luan luant lain laint tutu tutul lele leent

<100%の該当はありえない>

人間には色々な顔がある。ardenっぽい面もyuulっぽい面も持っている。
例えばメルはどれにも当てはまらない。yunkではないし、yunaでもmayuでもない。強いて言うならyunk60%、yuna30%、mayu10%という感じだ。
それは言葉にも反映されるべきだ。ときとして彼女は甘えたようにyunaを喋るだろうし、ふだんはyunkを喋るだろう。強がって見せるときはmayuを使うかもしれない(多分使わないだろうが)。
セレンも同じで、私・俺・僕を混用するように、そのときの気分次第で位相を変えるだろう。

20年以前はあるキャラは常に一定の話し方をしていたが、それだと現実の用法に合わない。
まして位相が増えて選択肢が広がれば、なおのこと現実に合わない。
そこで、アルカでは位相はTPOで使い分けるものとする。

<上下関係の男と横並びの女>

アシェットを観察していて気付いたことだが、どうも男子のほうが位相を使い分けている。
リーザに話すときと目下のメルに話すときとでは、明らかに言葉遣いが異なる。
一方、女子はそんなに誰に対しても変わらない。

恐らく男のほうが上下関係を意識するため、目上には多少弱々しく見せて「俺」とかは使わないということなのだろう。
そのあたりは日本人にはよく分かるはずだ。

女子はyunkならその個性を通している。クミールは常にyunkである。メルは100%のyunkではないが、自分の中でのyunaやmayuとの割合という個性を崩さずに喋るだろう。
男子は上下関係を意識して個性をコロコロ変えるが、女子は個性を貫き通している。
クリスがリーザに対してnorといわずにnonを使うのは、そこは例外的に男子と同じ感覚なのだろう。目上に対しては強気に出れないので、nonに落とすのだと思う。

リュウは今後はanだけでなくamiも使うそうだが、息子のアマヴェル君に対しては何というのだろうか。anになるかもしれない。

<日本語との違い>

当たり前だがラインナップも語法も日本語と異なるので注意点を挙げておく。
「俺」はderかdaiだが、anにも掛かる。実際セレンはふだん「俺」を使うが、アルカではanを主に使うからである。
このように、カバーする範囲が日本語と異なるので注意。

<展望>

制でan一辺倒になってしまったのでanに慣れたが、19年ごろからdel由来のderが出てきたことで、少しセレン自身の語用も変化した。
例えばリディアにちょっと良いとこ見せたいかなと思うときとか、derを使ったことがある。anより男らしい響きなので、ちょっと迫がつく。
ユールはできたばかりなのでamiを使うか謎だ。セレンはどちらかというと肉体派よりは知能派なのでユールを使うはずだが、なじみがないので使うかどうか分からない。
アルベンはdaiになったが、これはセレンは使わないだろう。

mayuがammaに分化したり、ardenとalbenが分化したり、pikkoやganoができたりしたので、位相の幅が広がって表現は便利になった。
今までanしかなくて「俺」なのか「僕」なのか「私」なのか分かりづらいなと思っていたのが、かなり使いやすくなった。
反面、学習効率は自然言語よりカオスな状態になったが、新生アルカに学習効率は求めていない。だが学習効率を求める需要もあるだろうから、そこは位相の範囲で東方人の制アルカに委ねている。

ともあれ新生では、「ant, tiit, luutのように画一的に作るとtiitで二回tを繰り返すのがいいづらい」というような問題を避けるほうが優先される。
anはantでいいが、derの場合はdertよりderdのほうが音が濁って迫力が出てardenらしい。こういうのも画一的なtで所有格を表していたらできないことだ。音と位相の個性がマッチしている。