まずドガの『踊りの花形(エトワールまたは舞台の踊り子)』を見てほしい。
http://rui4oyo.jugem.jp/?eid=451

この女の子についてどう思うだろう。
「あぁ、まぁ良いとこのお嬢さんなんだろな」と思うだろう。

なぜそう思うかというと、私たちにとってバレエをやってる子というのは、「中産階級の家庭の小学生の女の子」というイメージが強いからだ。
剣道と同じで、いまやバレエは子供の習い事というイメージが強い。

ところが、このころバレエは全然高尚でなく、かなりバレリーナは身分が低かったらしい。
今で言うとぴったりのものはないけれど、恐らくキャバ嬢を見るような目で見られていたようだ。

どうも作品というのは、それだけ見ても分からない。背景知識があって、初めて鑑賞できる。
だが、知識がありすぎても困る。

たとえばミレーの『晩鐘』を見てほしい。
http://www.worldfolksong.com/art/real/millet/angelus.htm

夕方で仕事が終わり、教会の鐘が鳴り、祈っている絵だ。
が、ダリは地面のじゃがいもの入った籠を子供の死体の入った棺と考えた。
どう見てもそうは見えない。

バレエのように、当時の世相から客観的に分かることなら良いが、自分の思い込みを押し付けるのはいかがなものか。
批評家にはそういう見方をよしとするのもいるが、行き過ぎは作品への冒涜だろう。

つまり、背景は大事だけど、あくまで客観的な見方で判断するのが、その作品を最も読み取れるのではないかと思うのだ。
アルカも作品なわけで、そのように見ることで、最も正確に見えることになる。
そして、私はコンテンツの作り手として、やはり穿った見方は冒涜だと思う。