・確率と頻度を細分化

aluut
[副詞][純副詞]必ず、絶対
19:古luuto(常に)。強調して使うことが多いので、わざと少し長くした。
[語法]
確率と頻度を表す副詞はそれぞれ9段階に細かく分けられる。どれもよく使うので覚えておくこと。
制までは4対にしていたが、4段階では口語では不十分すぎる。tinやkalなどと併用する方法もありえるが、言語を運用するほど確率や頻度の微妙なニュアンスを区別する機会が増えるため、すべて異なる単純語にした。
ただし、そこはセレンも慣れたもので、ニーモニックを盛り込んでおいた。たまたま端っこのaluutとaaxa、lutとluumiが同じ音で始まることから、中心のgaldから見て最初の子音を左右対称にすることを思いついた。例えばaluutの反対はaaxaで、kamilの反対はkliaというような遊び心を、ニーモニックとして盛り込んだ。
また、確率と頻度で頭子音が重なる場合は、できるだけ同じ位置においた。kamilとkalmaのように。同じ程度の見込みであることを示したほうが理解しやすいし、誤解も少ないと考えたためである。できればaluutとlutも合わせたかったが、元々の子音も異なるし、lutをほかのレベルに落とすのも不自然なので、遊びすぎは避けた。
五分五分は元々設定する予定ではなく、恐らく口語でも他の副詞ほど使わない。あれば便利だろうという程度なので、ここだけ一般的な語から派生させている。
前半4段階が、見込みの高いものを示す。後半4段階は見込みが低いもの。前半であれば、一応50%よりは起こると考えられている。真ん中はフィフティフィフティを指す。
どちらも前置純副詞にするか、se格に回す。なお、頻度のほうが純副詞になりやすく、確率のほうがse格に回りやすい。
<幻日対照:和訳はセレンの日常的な語感に基づくもので、あくまで目安として利用されたし>
見込み:+最大、+大、+中、+小、五分五分、−小、−中、−大、−最大
確率:絶対、まず、きっと、多分、五分五分だ、もしかして、かもしれない、まずない、ありえない
nent:aluut, vilot, kamil, xalet, gald, xiel, klia, vaden, aaxa
頻度:いつも、たいてい、しばしば、よく、したりしなかったり、ときどき、たまに、まれに、しやしない
sodik:lut, felte, kalma, andir, kart, ail, kovit, fist, luumi

・felpantを追加

教科
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[文化]
教養科目と実技科目に分かれる。tinakaでは実技科目しか行わない。
教養科目は国語、社会、算数、理科の4科目に分かれる。これを基本科目といい、以下の「歴史」などの下位概念を応用科目という。
国語は文学と言語に分かれる。文学は現代文と古典に分かれ、言語は文法と表現に分かれる。fiankaまでは(実際にはlazkaも)文学と言語という科目名で大雑把に学習する。
社会は歴史、法律、政治、経済の4科目に分かれる。fiankaまでは社会の科目でそれぞれ少しずつ学習する。政治や法律で戸籍の登録の仕方、税金のシステムなど、役所に行ったときに後々役立つ知識も学ぶ。
算数と数学は区別しない。lazkaから数学論、算術、経営に分かれる。数学論は代数学、幾何学、数論に分かれるが、分けて教えても分かりにくいので、適宜混ぜて教えられる。算術はインド式計算ドリルや公文のようなもので、機械に頼らず人間が計算力を維持し、脳を健全に保つための訓練。算術は特にtina〜fianで重視される(このころは科目名こそ算数だが)。経営では簿記や家計のやりくりなどを習う。
理科は法則、自然、機械の3科目に分かれる。lazkaから法則は物理と化学、自然は生物と医学、機械は電算と工学の計6科目に分かれる。

実技科目は芸術、図工、体育、音楽に分かれる。
芸術は絵画や彫刻といったものを行う。図工は草笛の作り方、紙飛行機の折り方、椅子の作り方、壊れた服の繕い方、鍋の直し方など、生活に役立つ知識を学ぶ。体育はユベールとスポーツに分かれる。音楽は声楽と器楽に分かれる。

fiankaを卒業する際、成績の良いものは試験を受けて進学校としてのlazkaに進む。それ以外は職業訓練校としてのlazkaに入る。
訓練校の場合、教養科目は基本科目しか行わず、実技科目に職業別の選択授業が入る。例えば服飾関係なら被服の授業を取る。
進学校の場合、基本科目がなくなり、応用科目が出てくる。文理の区別がないため、最も広く学習する時期である。その代わり、それぞれの科目は浅い。とはいえ大学より科目が多いのでは大変すぎるので、実際は現代文と古典のような細かい区別をせず、まとめて文学として教える。
lazkaを卒業する際、再度試験をして進学校に行くかどうか決める。また、この際に文理を決定する。
manakaに入ると文理によって取る科目と取らない科目が出るため、科目数が減る。その代わり、文学だったものが現代文と古典に分かれたりする。
前期大学のうちは、文系でも理系の授業を履修する。ただし、文系が理系を取る場合、理系の科目名は高校時代と同じで、細分化されない。逆も然りで、理系が文系を取る場合、現代文と古典は分かれず、文学として大雑把に履修する。
後期大学では完全に文理に分かれ、互いの科目は履修しない。また、同じ文系でも文学部や法学部などに分かれるため、文学部の学生は社会科目を選択的にしか履修しない。
大学院に入ると、完全に専門分野しか研究しない。

さて、中央アルナ大学首席のレイン=ユティアは文学部に所属しているが、高校時代は「文学、言語、歴史、政経(政治・経済・法律)、数学論、計算(算術・経営)、物理、化学、自然、機械」の10科目で首席を取っていたことになる。
理系科目のほうが多いが、授業のコマ数は文系のほうが多い。文理が分かれるまでは文系のほうが元々コマ数が多い。これはアルバザードが人文科目を人間にとって必要な教養として重視し、理系科目を社会発展のための剰余的な技術と考えているため。
また、前期大学では「現代文、古典、文法、表現、歴史、法律、政治、経済、数学論、計算(算術・経営)、物理、化学、自然、機械」の14科目で首席を取っていたことになるから恐ろしい。この状態で紫苑にアルカを教え、自身は学校をサボっていたことになる。
レインは後期大学では「現代文、古典、文法、表現、社会」しか履修しないが、現代文や文法などの内訳がさらに細かくなるので、結局科目数は多い。
なお、首席というとき、実技科目は評価に含まれない。教養だけで判断する。実技も入れると真の首席なのだが、レインは体育が駄目すぎるので値しない。アルナ大学の歴史で真の首席になった人物はミロク=ユティアとリディア=ルティアのみ。このうちリディアはアシェルフィから大学時代に転入し、ミロクは極方からfiankaに転入してきた。なお、三人とも真面目で努力家というのが共通している。レインも紫苑に会うまでは学校をサボらなかった。

・紫苑の書

――を一から完全に書き直そうかと思う。新生訳というレベルではなく、まるまる全部。
ネットの反応を見ていたら、ファンタジーパートが短いという共通見解があったので、強化したい。

また、魔のパートと呼ばれる部分が出たことも共通見解だと思う。
紫苑の学習が早すぎ、しかもすぐに使いこなせるようになったというのは、やはり不自然だし、読者がついていけない。
アルカオンリーのパートがあるのはともかく、それを小説内で説明できていないのが痛かった。そこで、もう少しチュートリアルを増やす。

登場人物も少なすぎた。位相が増えた今、アルシェの出番を増やそう。また、ドゥルガにはユール役で生きててもらおう。
フェンゼルももっと登場し、スケールの大きい役にしたい。

あと、日本のシーンが短すぎた。異世界に行くのが早い。短すぎて日本を出す意味がない。
どうして紫苑がそこまで異世界を望んだのか、どんなウンザリした学園生活を送っていたのかが分からない。

さらに、文化紹介がなさすぎた。せっかくの異世界である意味がない。
学校、カルテ、南区、北区など、もっと出したい。
当時はランスケルンさえなかった時代だが、今のアルナには観光スポットがたくさんある。

ずいぶん先のことになると思うけど。

・はぴねす

メルのアホが紫亞に「はぴねす!」を聞かせたら、気に入ってしまったそうだw
http://jp.youtube.com/watch?v=Si8U9XknaCU

[俺慣用]sneg取りがsnegに。