・細分化は不定量で最後だろう

fikdu
[言語]不定量
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[語法]
不定量は時間と量に分かれる。
量はtiu(1〜2個), fou(2〜3個), alfou(3〜5個)がある。また、galtoon(百数十個)のように、任意の桁にtoを入れて不定量を表現する方法もある。
時間は時点と時量に分かれる。両者とも、askやfoniなどといった同じ単語を使う。
時点はsa, xi, imなどの格詞とともに現れ、ある時点からどの程度離れた時であるかを示す。sa askで「すぐ前に(1〜5分ほど前に)」を意味する。
時量はdu, floなどの格詞とともに現れ、どの程度の時の長さがあるかを示す。du foniで「一瞬」、flo leifで「2、3日〜数カ月の間」という意味になる。
同じaskでも、sa askなら「さっき」、xi askなら「後で」、du askなら「ちょっと」と訳し分ける。日本語だと3語覚えることになるが、アルカだとaskという語自体が決まった時間の幅を持っているので、格詞との組み合わせだけで表現できる。外国語が得意な人でも案外不定量の表現は覚えていなかったりするが、そのわりに口語では非常によく使うので、できるだけシンプルで、しかも時間の幅がきちんと決められる体系が便利だと思われる。
不定量は元々小さな時間を示すのに使うことが多い。数カ月や数週間の場合、そもそもxeltやsootという単位を使って"ta xelt via"(2カ月くらい)のように示せばよい。同様に、日ならselを使えばよい。
人間にとって長い時間あるいは現在から離れた時間になるほど、見通しが立たなくなる。見通しが立たないあやふやな状況にあやふやな不定量を持ってくると意思疎通に支障をきたす。不定量はある程度計画の立てられる見通しが立った状態において、暫定的に計画を立てる際に使われる。例えば「あとで会いに行くよ」というような場合に使われる。これが27日も後の話なら、不定量で表してもかえって分かりにくいので、ある程度具体的に3週間くらいと目安を立てる。
というわけで、アルカの不定量は細かい時間を表すようにできている。大きな時間の場合は上述の通り、「2カ月くらい」というような表現をする。時点と時量は10段階に分かれ、内訳は以下の通りである。
1:foni(一瞬。実際には1秒以内から1分程度まで、場面に応じて幅広く)
2:ask(すぐ(以下はxiと組み合わせた際の訳)。1〜5分)
3:liset(ちょっとしたら。5〜30分)
4:ezit(ややあって。15分〜1時間弱)
5:galti(少ししたら。30分〜1時間強)
6:pian(しばらくしたら。45分〜2時間)
7:sikt(あとで。1時間〜2,3時間)
8:leif(ずいぶんあとで。2,3時間〜6時間)
9:ixt(こんど。2,3日〜数カ月)
10:fema(いつか。1年以上)
20年頭までは時点と時量に別々の単語を当てていた。恐らく自然言語に引きずられたのだろう。だが、こう考えれば時点と時量を同じ単語で表す理由が分かる。sel(日)というのは24時間のことだが、これは時間の定量である。sa selなら「24時間前に」で、du selなら「24時間の間」を意味する。定量に関しては時点も時量も同じ単語を使っている。ならば、不定量だけ時点と時量が別でなければならない理由は存在しない。askは「1〜5分の間」という量なのだから、selと同じように時点にも時量にも使えるはずである。かくして時点と時量を併合し、さらにen hemなどと表していた部分を単純語にし、10段階の不定量を定めた。単純語を作る際は、sa, xiとともに使われることを考慮して、同じ音が連続しないよう、xやsで始まる語は避けた。なお、1と10、2と9はそれぞれteelvetになっている。4〜6は語源が連続したストーリーになっており、7のsiktは制の意味に復帰した。
<時間の単位を使った時量>
fou jin(数秒)
toon jin(数十秒)
fou fei(数分)
toon fei(数十分)
fou miv(数時間)
toon miv(数十時間)
fou sel(数日)
<不定量について理論的な補足>
日本語の不定量の時間表現を集めてみる。
いくつも出るだろうが、大体――
1:すぐ(1〜5分)
2:ちょっとしたら(5〜30分)
3:あとで(30〜2,3時間)
4:こんど(2,3日〜数カ月)
5:いつか(1年〜∞)
――の5段階で使い分けているように思われる。 括弧内の長さは目安で、ネイティブごとに一致を見ないだろう。だからといって「あとで電話するね」の「あとで」が翌日と解釈する日本人もいまい。おおむね括弧内が目安である。 むしろ重要なのは目安の正しさではなく(それは日本語論なので)、不定量が網羅的でないということだ。
例えば、2,3時間以上24時間未満という不定量がない。また、数カ月から1年という不定量もない。 網羅的でない上に、幅も広い。1〜5分ならともかく、2,3日から数カ月ではだいぶ広い。1分から30分までは3段階もあるのに、30分を超えると急に大雑把になる。これらが日本語の不定量の特徴である。なお、英語でやっても同じ結果になる。
アルカは人工言語なので、当初網羅的でないのを嫌い、mes+単位でどんな不定量も表せるようにしたが、不自然である。自然言語を分析すると、このように現在に近いほうが細分化され、未来に行くほど大雑把になる。また、網羅的でもない。現在に近いほうが細分化されるのは人間の視界に近い。目の前の瓶に書いてある文字は読めるが、遠くの山は大雑把にしか見えない。人間の不定量の感覚はこのように「時間の遠近法」を持っている。 これは過去にも言える。「いましがた」「さっき」「先日」「こないだ」「むかし」を見るとわかるとおり、現在に近いほうが細分化されている。
なぜ人間の言語には「時間の遠近法」があるのか。 未来については、現在から遠いほど、予測が付かないからである。 10分後のスケジュールはほぼ確定事項で、隕石が降ってくるような突然の事態でもないかぎり変わらない。だが1年後となると話は違う。きちんとスケジュールが決められない。 歯医者の予約みたいなもので、来週なら土曜か日曜のどちらが空いてるか受付嬢に伝えられるが、3カ月後の定期検診だとどうなるか自分でも分からない。未来になればなるほど、スケジュールが不定になる。3カ月後の定期検診など、「中旬ごろにまた来ます」などのように大雑把に言うしか約束できない。従って、そのあたりの不定量を示すときも、当然幅が広くなるというわけだ。この理屈でいくと、過去はどうか。過去は確定された歴史なので、未来と違って現在から離れるほど不確定ということはない。だが不定量の表現は過去も未来も現在から遠のくほど大雑把になる。これはなぜか。
なぜなら、過去は現在から遠く、記憶が褪せるからである。遠い過去のほうがいつだったか思い出せない。昨日か一昨日かという区別は重要だが、1年経てば1日の違いなどどうでもよくなる。だから過去の不定量も現在から遠くなるほど、大雑把になる。歴史とか行動の履歴という客観で考えず、実際に言語を使用する人間の認知を考えれば理解できる。
なお、不定量をしっかり決めている人工言語は少ない。 代名詞を定めない人工言語はないが、不定量を決めている言語は少ない。言い換えれば、代名詞を決める前に不定量を決める人工言語は恐らく存在しない。こう見ると、不定量のほうが代名詞より作成の順序的に高レベルな内容だということが分かる。逆にいえば、不定量の表現の設定があるかないかで、人工言語の進化段階が推定できる。


・形容詞を細分化したい

lijが幼稚とあどけないでは、使いづらい。形容詞を細分化したい。