オウム以降、日本における宗教の地位は格段に下がった。
しかし宗教は本来救いであり、どのように生きれば良いか示す道でもあり、人間にとって必要なものだ。
科学全盛の時代においても、人間はまだ神を必要としている。

ニーチェはペンで神を殺したが、あの時代の人間の躍進を考えれば、それも詮無き驕りだろう。
当時の人間は神を殺すほどに安定し、発展していた。

しかし、科学の進歩とともに「何ができないか」が分かってきた。
「少なくとも自分の生きている間に何ができないか」も痛烈に分かってきた。
科学という新しい神様は存外に厳しく、人間から希望を奪った。

そこで、旧来の神様に縋りたい人間が戻ってくるわけだ。
行き過ぎた科学信仰から、人は再び神の世界に戻ってくる。神を蘇らせる。
――つまり、神のルネサンスだ。

ミロク=ユティアが復古・普及させたアルティス教にはその意味がある。
あれは紛れもなく神のルネサンスだ。


さて、日本に宗教は必要か。
この答えは既に新渡戸が出している。

日本にはキリスト教にあたる道徳を伝える宗教が当時なかった。
それを外国人に指摘された新渡戸がショックを受けて武士道を著したわけだ。
武士道自体は儒教に影響を受けているが、当時の日本人にとっては宗教という考えではなく、民間道徳だった。

いかにも宗教らしい宗教は日本に合わない。
武士道のような精神性を宗教代わりに使うのがよいだろう。

キリスト教のように教会や聖書など、形があるものはいい。
形のない民間道徳はすぐ変わってしまう。日本が好例だ。

挨拶もしない隣人、気のない「いらっしゃいませ」しか言わない店員、会話のない会社、すぐ訴える人々、子供を注意しない親。
民間道徳を失ったことがいかにまずかったかが分かる。
ミロクの功績は、アルティス教を通して道徳を敷いたことだろう。