もし自分が老人になったらと考える。
体は節々が痛いし、呼吸するたびにどこかがひずむ。
トイレすらままならないし、癌や潰瘍ができれば痛い。

たった1日過ごすにも、癌患者は地獄だろう。
地獄はこの世にあるのだ。

メディチ家に生まれようと貴族に生まれようと、中世の医学ではあっさり人は死んでしまった。王族だって簡単に病気で死んでしまった。
少し富んだと思えばたちまち他国に攻め入られ、娘は犯され男は殺されてしまう。
地獄はこの世にあるのだ。
よく人間はここまで安全な社会を作って、まともな労働環境を(一部に)作って、お笑い番組やゲームを作って、夜の闇の恐怖から逃れたものだ。
人間の智恵は凄い。

しかし、それでもまだ地獄はこの世にあるのだ。
先進国でも病苦からは逃げられない。
人は必ず死ぬ。苦しんで、死ぬ。
想像を絶する絶望の中で、死ぬ。
老人が自殺をするわけだ。

他方、何もない若者は、1日をただ何事もなく寝て過ごせる。
ここにニートの若者がいるとする。
「俺には何もない。今日も何も起こらない。女もいない。未来もない。こんな人生つまらない」と思うだろう。
確かに未来はないが、現在はある。病人には、痛みや苦しみのない五体満足な現在すらない。

五体満足で痛いところが何もないで過ごす1日はあっという間だ。
つまらないと思えるほど痛みがない。

頑張れば富や名声を得られるかもしれないが、何よりも大事なのは苦しくないことだ。
頑張った結果、病気になって苦しめば、意味がない。恐らく未来の自分は後悔する。
なぜなら人間は苦しみから逃れることを快楽を得るより優先するからだ。

現在、若い私には痛みがない。
しかし、癌で死んだ親父を思い出すと、頑張って働いて病気と借金で死んでいったあいつは何だったんだろうなと思う。
ただ痛みのない幸せ、ニコ動を見たり掲示板で話して笑っていられる幸せが、いかに大切かと感じる。
病苦に比べれば、あらゆる悩みなどちっぽけなことなのだ。人間は何よりも苦しみに弱い。