人生を楽にする一番の方法は悟りを開くことだ。といっても宗教的な意味ではない。
突き詰めていくと、悟りとは次の2点だ。

1:自分自身をそのようなものだと受け入れる(不細工でも貧乏でもそんなもんだと)
2:他人と比べない(下を見つけてpgrしたり、上を妬んで無理して真似したり)

では悟りはどう開くか。何も釈迦のものだけではない。
自己をモジュール化するのが手っ取り早い。つまり専門家になるということだ。簡単にいえばオタクだ。

「俺は言語だけやってればいい」と考える専門家には労働問題など知ったことではないし、福祉もどうでもいい。
そんな人ばかりでは社会は困るが、個人レベルで見れば最も迷わない幸せな人たちだ。
将棋の羽生さんとか、ああいう社会人になったらヤバそうだなという人は意外と悟っている。余計なことを考えないからだ。

専門家も人間なので、色々余計なことを考える。そういう人は集中力が足りない。これを書いている筆者のように。
筆者もそれはいかんと思っているので、自分はアルカを作るモジュールで、それにこそ生きる価値があると、とっとと思い込めばいいのだ。
社会がどうのと言っている時点で、集中力が足りんのだ。それで、悟れないんだなと思う。

ビジネス論的には「眼を広く開け」「上を見て邁進せよ」が正義だが、その結果この格差社会とストレス社会だから、当てにならない。
ビジネス的に勝ち組になった人間も結局過労が祟って成人病になる始末では、何が勝ちやら負けやらという感じだ。
だからこそ、そういう実体のない勝ち負け思想に踊らされないための悟りが必要なのだ。


なお、悟りを開くに当たって最も重要なのは健康だ。
人間はどこまで思考を高めても動物だ。体が痛いときにはロクなことを考えないし、イライラもする。

どんな綺麗事を言っても病苦にある自分が幸せとは思えないし、受け入れがたい。
「自分を受け入れなさい、それが悟りです」と言っても、こんな癌だらけの自分を受け入れられるかというのは当然だ。
だから、まずは健康を確保することが大事だ。

P.S.

で、大人になると健康を確保しながら飯を得なければならないから、必然的に労働問題に目が行くわけだ。
悟りと健康と労働問題は繋がっているのだ。日本の環境は良いとは言えない。地域によっては案外第三国のほうが良い場所もある。
世界的に見れば日本は賃金はたくさん稼げる。だが、環境が健康的かというとそうでもない。労働環境ではむしろ後進国だ。
あと、国民の幸せを感じるレベルもかなり低い。自分は外国人の知り合いが多く、自分自身も外国に行くのでよく分かる。

そこでこんな面白いサイトを見つけたわけですよ。
http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-16.html

このサイト見つけて、あまりに自分に考えが似ているのでミロクかなんかかなと思ったのだが、
しばらくしてからこないだのKakisさんの話を思い出して、「もしかして俺と同じロスジェネなんじゃね?」と思ったところ、見事にタメという事実が発覚。

もしかして正義や価値観って同じ世代の人間じゃないと共有できないのかもしれないな。
その理屈で言えば、魚楠さんは年上だから「甘えんなドルァ」と思う世代で、Kakisさんは恐らく共感で、niasさんは年下だから「オッサン悲哀やなぁ〜」と思う世代ということになるのだろうか。


俺も語学屋だし、辛くなったら海外に行こうかな。言語は不自由しないし。