悟りは「今の自分を受け入れ、他人と比べないこと」とした。
メシウマは逆で、「他人の不幸は蜜の味」という意味。
メシウマは逆で、「他人の不幸は蜜の味」という意味。
これらは対極にあるが、どちらも目的は「自分が幸せになりたい」に他ならない。
アプローチが真逆なだけ。
アプローチが真逆なだけ。
物の本には「愛が一番大事。幸せになりたいなら人を愛しなさい」と書いてある。
となると悟りは抵触しないが、メシウマはダメということになる。
となると悟りは抵触しないが、メシウマはダメということになる。
しかしネットでメシウマ言ってる連中を見ていると「あれ、思ったより幸せそうだな?」と思う。
どうもまとめると、幸せな人間というのはこういう感じなのではないか。
どうもまとめると、幸せな人間というのはこういう感じなのではないか。
「上は絶対に見ない。上がいるという存在を認めない。上に対しては悟りを開き、一切自分が落ちていると思わず、比べない。
しかし下はとにかくこき下ろし、上が落ちれば即「メシウマwwwざまぁwww」で大爆笑」
しかし下はとにかくこき下ろし、上が落ちれば即「メシウマwwwざまぁwww」で大爆笑」
――これを徹底すれば毎日愉快だろうな。ハレハレ愉快だろうな。
ただ、なんというか、ここまで徹底できる自己中さが凄いというのと、自分一人が幸せで満足なんか?っていう疑問が残るわけだが。
まぁ、体に悪いと分かっていながらタバコを吸う人間の更正法を考えて胃を痛くするよりは、そんな奴ほっといて自分だけ悟って幸せになるというのは正解かもしれない。
ただ、なんというか、ここまで徹底できる自己中さが凄いというのと、自分一人が幸せで満足なんか?っていう疑問が残るわけだが。
まぁ、体に悪いと分かっていながらタバコを吸う人間の更正法を考えて胃を痛くするよりは、そんな奴ほっといて自分だけ悟って幸せになるというのは正解かもしれない。