一億総中流が崩れた結果、格差が広がった。同時に自己責任という言葉が流行った。
負け組みが自殺しても自己責任、時代が悪くて職がなくてあぶれてホームレスになっても自己責任という世の中。
運の良い年に生まれて企業に潜り込めた人間が、平気な顔で「自己責任だろ。死ねよ」と言う始末。

勝ち組は本来自己の安全のためにセーフティネットを作るものだが、日本にはその習慣がない。
noblesse obligeにきちんと相当する言葉がない時点でそれは明らかだ。

運の悪い負け組みが自殺に追い込まれるのが自己責任なら、その負け組みに勝ち組が刺されるのも自己責任ということになる。
だが、そんなの不毛だろ?

もともと人間が社会を作ったのは、相互扶助をして生き残る確率を高めるためだ。
不幸がのしかかった人間に対し、「自己責任だろ。お前が悪い」で切り捨てる社会は危ない。
危ない上に、それをお上がやっているから余計に危ない。

以前書いたように、善意は六法に勝る。
負け組みが自己責任と言って切られれば、勝ち組を刺して「当然これも自己責任だろww?」と復讐するようになる。
善意を受けなかった人間が悪意を返すのは自然の流れだ。

だからこそ、逆に善意を与え合わねばならない。
なのに現実は悪意を与え合う結果になっている。
自分だけが損をしたくないと思うので、誰かが最初に善意のキャッチボールを裏切るからだ。
誰かが裏切ってボールを持ち逃げする。持ち逃げされた相手は今後は別の相手とキャッチボールをして、ボールを持ち逃げする。

その繰り返しで一番最後に騙されるのは底辺の人間で、底辺が割を食う。
しかし底辺の中に牙を剥くものがいて、それがあるときナイフを持ち出し暴れまわり、誰かが被害を受けて死んだりする。
みんなの恨みの蓄積が底辺に集まり、底辺が任意の誰かを刺し殺して恨みが消化される。
まさに不毛だ。

そしてその不毛な循環を助長するのが「自己責任」という言葉だ。
上記のシステムを見れば分かるとおり、裏切りのキャッチボールは上から始まって最後底辺で終わる。
言い換えれば、上の人間が裏切ることが雪崩れのスタートとなる。
だからこそ、お上や金持ちが「自己責任」を口にするのは危ないと言っているのだ。

どうしてアルバザードが優れた国かというと、ミロクのような高潔な人間が治めているからだ。
上がしっかりしていると、下もしっかりするものだ。
まぁあれはフィクションなので日本に求めても仕方がないが、もう少しセーフティネットを作るなり、noblesse obligeを果たすべきだ。