『感情科学』という本のp183に、「対人関与的な感情」と「対人脱関与的な感情」という用語が上がっていた。
例えば親しみと誇りなどを指すようだ。
以下はこれについて人工言語的な観点から考察する。

対人関与のほうは、相手があって初めて起こる感情なので、他動詞になりやすいのではないか。
例えばsiinaや英語のlikeなど。

脱関与のほうは相手がいなくても起こる感情なので、na型になりやすいのではないか。
例えばアルカのna joのように。

これらの概念を使えば、どうしてアルカで感情を表す言葉にna型とsiina型があるのか説明が付く。

さて、面白いのはここからだ。
この本が言うには、対人関与と脱関与は文化によって頻度や深さが変わるらしい。

日本人は人間関係を尊ぶので、対人関与の単語が多いそうだ。
そして個人主義のアメリカでは脱関与の単語が多いそうだ。
結果、「甘え」「親しみ」「負い目」などは英語にそのまま当たる単語がないということになるらしい。
ただ、アメリカ人も文で訳せばこれらの感情を理解することはできるらしい。

我々人工言語屋にとっての問題は、こういうことだ。
つまり、ある言語を作るときに、その文化が和を尊ぶのか個人主義なのかによって、対人関与の感情語と脱関与の感情語の比重を変えねばならないるということだ。

さて、アルカはどうかというと、アルバザードが混合文化であることを裏付けるかのように、どちらにも細かい。
日本ともアメリカとも異なる融合型だ。

神話上、感情はアルディアの時代に細分化され、色とともにアシェットによって細かく表現された。
アレイユの時代でも感情は細かく表現され、対人および脱関与のいずれにも細かい。
アルカにおいてもきちんと文化と感情語が有縁であることが分かる。