好きな言語はフランス語とアルカと日本語。
それぞれ理由が異なる。

フランス語は雰囲気がある。綺麗な印象がある。
実際にはrの音や、カタカナにしたときにヘンな音がたくさんあるが、それでも綺麗だと思う。
それはもはや雰囲気やオーラを持っているということだろう。
あと、血が惹かれるのかもしれない。


日本語は歌において最も優れた言語だと思う。
これにはわざわざ芸術用に誂えたアルカも適わないと自分では思っている。
ンを除いて開音節しか持たず、ギャやチャなどの汚い音をあまり使わない。

漢語は4音節でできているものが多く、歌詞を譜割りするのに極めて楽だ。
文字数がほぼ音符に相当するので、とても譜割りしやすい。
開音節なので響きが良く、どの小節でも気持ちよく伸ばせる。
さらに、語彙数がかなり多い。日本語の類義語の豊富さには舌を巻く。あれはアルカでは適わない。

また、英語と違って位相が細やかで、感情を表すのに向いている。
同じ文でも日本語で読むと感動することができる、優れた言語だ。
特に萌えに強いと思う。英訳すると大抵萌えなくなる。


アルカは日仏の中間のような存在だが、音の綺麗さと感情の細やかさに特化している。
フランス語は綺麗だと思うが、たまにregard(ホギャァ)のようなヘンな発音がある。
でも、エトワール、ノワール、ル・ヴァン、デゥ・ラ・ヴィアンドなど、綺麗な音も多い。
アルカはちょうどフランス語から綺麗な音だけを取ったような言葉だ。

また、位相は日本語以上に細かく、感情表現は極めて多彩だ。
人を好きというのにも、tiia, siina, hatia, randi, lax, wilなど、多様に使い分ける。
代名詞に至っては日常的に10種もの位相を使い分ける。日本だと日常では私、僕、俺くらいのものだろう。

だから好きというか、自分が言語に求めるものが結局「音」と「心」なのだろう。
言語に求めるもの、期待するものが、コミュニケーションの道具というより、絵を描く画材、筆のようなものなのだ。
自分の選ぶ筆には綺麗な音と心が乗っていて、それを使って作品を作る、ということなのだと思う。
そういうことを、言語に期待しているのだと思う。

反対に、音と心に配慮されていない言語は興味がない、ということになる。
例えば音に関しては中国語が好ましくなく、心に関しては英語が好ましくない。
さらに英語はそもそも音も好きではない。抑揚が激しすぎる。落ち着きが足りない。
これらはどちらも習得済みの言語だが、どうしても好きになれない。

ただ、人によっては中国語を綺麗に感じる人もあるだろう。
ノワールのどこがいいんだと思う人もいるだろう。
そのあたりは結局個々人の趣向だと思う。