メトン周期と改暦
太陰太陽暦のユーマ暦では19太陽年に7回閏年を挿入した。これは235朔月が19年太陽年にほぼ等しいことを利用している。19太陽年は365.242194日×19=6939.601686日で、235朔望月は29.530589日×235=6939.688415日である。まったく同じ数値ではないため、約0.09日ずれる。つまり、19年につき0.09日ほどずれが生じる。すると211年すなわち約200年でおよそ1日のずれが生じることになる。
ユーマ暦は8080年も続いたため、当然改暦が繰り返された。時の王たちはキリのいい200年に一度の周期で規則的に改暦を行った。最後に改暦されたのはユーマ8000年である。さて残り80年だが、19年で閏月の調整が終わるため、8000〜8075年の76年間でずれが調整される。この間に生じるずれはおよそ0.36日で、約1/3日であるから、およそ8時間太陽年のほうが遅いことになる。
76、77、78、79年の4年間で平年は3回あり、閏月は1回入る。平年では太陽年365日に対して約−11日、閏年は約+19年の差が生じる。76〜79年で平年・平年・閏年・平年の組み合わせだと、−11−11+19−11で約−14日となる。8000年は改暦を行って、冬至から最も近い朔を年始にしている。これはユーマ0年とほぼ同じである。ユーマ0年で年始とした「冬至から最も近い朔の日」ができるだけずれないよう200年に一度改暦を行っているので、ユーマ8000年の年始も「冬至から最も近い朔の日」になる。
ユーマ0年は西暦でいうと−7080年に当たる。−7080年における「冬至から最も近い朔の日」はグレゴリオ暦でいう12月14日に当たる。15日の0時ちょうどの時点で現アシェルフィから観測すると月齢は0.1だからである。冬至は12時に観測されるが、冬至から近い朔の日は昼に観測する合理的な理由がないため、日の改まる0時で測った。観測でなく「測った」といったのは、この時間アシェルフィから月が見えず、朔の月が太陽に程近いくじら座の周辺にいるためである。
ユーマ8000年は西暦でいうと320年に相当する。ここが最後の改暦であるが、320年12月15日は0時の段階で月齢27.1であるから、この日が年始ではない。17日で29.1、18日で0.5となるため、朔になったのは17日の昼ごろ。従って320年12月17日が改暦されたユーマ8000年の始まりとなる。
ここから76年経って8076年になると西暦396年であるが、8076年の空を見てみると、12月17日0時の段階で月齢28.6、18日で29.6、19日で0.9となっている。17日でなく18日が朔になるのは、比較に使っているグレゴリオ暦の閏年の影響である。ユーマ暦の中で見ればきちんと76年で閏年のずれが解消されている。ユーマ8076年の始まりは西暦396年12月18日となる。
さて、上述のとおり76、77、78、79年の4年間で平年は3回あり、閏月は1回入り、8080年の年始は「冬至から最も近い朔の日」から見て−14日となる。8080年、すなわち西暦400年の「冬至から最も近い朔の日」はいつだろう。まず400年12月18日の月齢が14.8で、満月である。太陰太陽暦における閏月の挿入法は、「365日に対して1年が354日しかないので、ある期間で閏月を入れて補う」というもので、常に陽暦のほうが陰暦より進んでいる。従って400年12月18日という陽暦は進んでいることになるため、この月齢14.8を次の朔に進めるのではなく前の朔に戻すことで本当のユーマ8080年の年始がわかる。なお、「補う」という考え方に基づくと、76〜79年の間で2回閏月が来ることはないと分かる。8076年で既に19年サイクルは終えているので、8076年からまたずれのサイクルが再スタートする。にもかかわらずこの76〜79年の間に閏年が2回来ることは計算上ありえない。平年2回の閏年2回だと−11−11+19+19で、正の値になってしまい、陰暦が陽暦を超えてしまうからである。
さて、月齢を戻していくと、12月4日で0.8となる。4日の時点では既に朔になった後なので、朔を迎えるのは12月3日である。この日の0時に月齢は29.3となり、日中に朔を迎える。従って400年12月3日がユーマ8080年の年始である。
ではこの年の見かけ上の冬至はいつであったろうか。この時代は既にユーマの一族の時代であり、カコの時代である。神と違って既に宇宙空間に人は飛んでいけなくなった時代である。また、科学技術はアレイユに比べてまるで進化していない。そこで当時の冬至は南回帰線から見て12時に太陽が天頂を通過する日で求められたことになる。そしてその日は西暦でいうと400年12月18日である。ユーマ8080年の年始はグレゴリオでいう12月3日だから、この年の冬至をユーマ暦にするとユーマ8080年1月16日に当たる。
ユーマ暦は冬至を基準点とするため、イムル暦に移行する際に12月3日を以って移行してしまうと、ユーマ暦最後の冬至がユーマ暦に含まれなくなってしまう。もともと太陰太陽暦は冬至から見て毎年11日ほど足りなくなるのを補っていくので、1月中に冬至を迎えることが多かった。もし1月1日にイムル暦に移行した場合、8080年の冬至がなかったような錯覚を覚える。そこでユーマ暦に最後の冬至を与えるために、ユーマ8080年1月16日を含んだ月、つまりこの年の1月をユーマ暦最後の月とした。そしてこの冬至が終わり、月が次の朔になった時点を以って完全に太陰太陽暦であるユーマ暦を終え、同時にイムル暦を始めることとした。さて、では西暦400年12月3日で朔を迎えた月は、いつ次の朔になるだろうか?アシェルフィから観測すると、西暦401年の1月1日である。1月1日に28.8で、1月2日に0.1となる。1月1日の20時30分ごろにちょうど新月になるため、朔になる日は1月1日である。よってイムルはこの日を以ってイムル暦の紀元と定めた。すなわち西暦401年1月1日がイムル0年1月1日となる。
ところがイムル暦の運用をユーマ8080年に認可して公布した英雄アルシェが、その発表演説において「本日を以ってイムル1年1月1日とする」と国民の前で発言してしまった。セイネルスと言わなければ1ばかり並ぶ数であるというのと、物はふつう1から数えるものだという常識と、実際に世紀の場合は1から数えることなどが原因で、アルシェは年号も1年から始まるものだと誤解していた。大統領演説に相当する発言であったため、イムルは主君の恥を晒すわけにはいかず、イムル暦を1年から始めることにした。従って、唯一歴史上イムル暦のみが0年を持たないことになり、西暦401年1月1日がイムル1年1月1日となった。後にイムルは便宜上この紀元から366日(イムル0年は閏年なので)戻した日付をイムル0年の1月1日とした。従って、西暦400年1月1日がイムル0年1月1日に当たる。
<アルディアとの関連>
アティーリの中でカコとアルディアは現実に基づいている。中でもアルディアは情報が豊富で新しく、具体的な日付の分かる出来事が元になっている。簡単にいえば、1900年代後半のアシェットの歴史が元になっているので、できればイムル暦でも同じ日付になってほしい。ところが異世界なのにどちらの暦でも年始が1月1日になることなど到底ありえない。そう思ってメル20年までずっとイムル暦の具体的な内容は決められておらず、なんとなく冬至を紀元とすると定められていた。
ところがよくよく天体を観測してみると、ちょうど401年の1月1日にアシェルフィで朔になる(眼では見えない)。ユーマ暦が太陰太陽暦だったと決まったので、これと合わせれば、地球と同じく1月1日を紀元とする暦を作れるのではないかと考えた。そこでイムル1年の元旦を地球の西暦401年の元旦に合わせた。もっとも、このころ地球はグレゴリオ暦でないので、400年代のことだけいえばまるで役に立たない。
ところが実際上記アルディアに使うのは1900年代の話だけである。1981年にセレンが生まれ、84年にリディアが生まれたというような、主に1900年代後半に使えればそれでよい。そして1900年代後半は地球もグレゴリオ暦である。そう計算していくと西暦1984年はイムル1584年になる。
しかし1月1日が同じでも閏年の来るタイミングが違うのでずれが生じるのではないかと思うだろう。だがずれはない。なぜならグレゴリオ暦の計算だと4年に一度閏年があり、100年に一度閏年がなく、400年に一度閏年があるから、きっかり西暦と400年ずれているイムル暦に閏年のずれはない。イムル暦を400年ずらしたのは2003年ごろのセレンの知恵だが、こんなところで役に立つとは思わなかった。当時はイムル暦は冬至スタートだったので、400年のずれで閏年の差を解消しても大した意味はないと考えていたからだ。
さて、というわけで今後アルディアを書く際に非常に便利になった。リディアは7月19日生まれになるし、ディアセルも7月19日ごろでなくズバリ19日といえるようになった。
なお、イムル1600年は閏年でないが、西暦2000年は閏年なので、2000年以降はずれが生じる。しかし現実のアシェットでは2000年を過ぎたころから徐々にメル暦を使い始めていたため、残っている記録はメル暦で記されていることが多い。なのでまったく問題がない。
1月1日がちょうど401年で朔になったのはセレンが操作できることではないからまったくの奇跡であるが、つくづくセレンは天文に恵まれていると思う。メル暦で1月が28日なのも使徒が偶然28人だったからで、27だったら一週間が7にならないし、1年のあまりも大きい。29でも同様だ。28は奇跡的だ。4週あって1週が7日で、13ヶ月で364日になってミュシェットが1日で済む。
もっと奇跡だと思ったのは天文のところで以前述べたとおり、1988年11月30日の0時にアシェルフィでアルデバランが南中する件だ。あれも極めて奇跡的である。そして今回のイムル−グレゴリオの紀元重複である。奇跡がここまで連続することがあるだろうか。しかしメルの誕生日も使徒の数も401年で朔になることもセレンがどうにかできることではない。
ユーマ暦は8080年も続いたため、当然改暦が繰り返された。時の王たちはキリのいい200年に一度の周期で規則的に改暦を行った。最後に改暦されたのはユーマ8000年である。さて残り80年だが、19年で閏月の調整が終わるため、8000〜8075年の76年間でずれが調整される。この間に生じるずれはおよそ0.36日で、約1/3日であるから、およそ8時間太陽年のほうが遅いことになる。
76、77、78、79年の4年間で平年は3回あり、閏月は1回入る。平年では太陽年365日に対して約−11日、閏年は約+19年の差が生じる。76〜79年で平年・平年・閏年・平年の組み合わせだと、−11−11+19−11で約−14日となる。8000年は改暦を行って、冬至から最も近い朔を年始にしている。これはユーマ0年とほぼ同じである。ユーマ0年で年始とした「冬至から最も近い朔の日」ができるだけずれないよう200年に一度改暦を行っているので、ユーマ8000年の年始も「冬至から最も近い朔の日」になる。
ユーマ0年は西暦でいうと−7080年に当たる。−7080年における「冬至から最も近い朔の日」はグレゴリオ暦でいう12月14日に当たる。15日の0時ちょうどの時点で現アシェルフィから観測すると月齢は0.1だからである。冬至は12時に観測されるが、冬至から近い朔の日は昼に観測する合理的な理由がないため、日の改まる0時で測った。観測でなく「測った」といったのは、この時間アシェルフィから月が見えず、朔の月が太陽に程近いくじら座の周辺にいるためである。
ユーマ8000年は西暦でいうと320年に相当する。ここが最後の改暦であるが、320年12月15日は0時の段階で月齢27.1であるから、この日が年始ではない。17日で29.1、18日で0.5となるため、朔になったのは17日の昼ごろ。従って320年12月17日が改暦されたユーマ8000年の始まりとなる。
ここから76年経って8076年になると西暦396年であるが、8076年の空を見てみると、12月17日0時の段階で月齢28.6、18日で29.6、19日で0.9となっている。17日でなく18日が朔になるのは、比較に使っているグレゴリオ暦の閏年の影響である。ユーマ暦の中で見ればきちんと76年で閏年のずれが解消されている。ユーマ8076年の始まりは西暦396年12月18日となる。
さて、上述のとおり76、77、78、79年の4年間で平年は3回あり、閏月は1回入り、8080年の年始は「冬至から最も近い朔の日」から見て−14日となる。8080年、すなわち西暦400年の「冬至から最も近い朔の日」はいつだろう。まず400年12月18日の月齢が14.8で、満月である。太陰太陽暦における閏月の挿入法は、「365日に対して1年が354日しかないので、ある期間で閏月を入れて補う」というもので、常に陽暦のほうが陰暦より進んでいる。従って400年12月18日という陽暦は進んでいることになるため、この月齢14.8を次の朔に進めるのではなく前の朔に戻すことで本当のユーマ8080年の年始がわかる。なお、「補う」という考え方に基づくと、76〜79年の間で2回閏月が来ることはないと分かる。8076年で既に19年サイクルは終えているので、8076年からまたずれのサイクルが再スタートする。にもかかわらずこの76〜79年の間に閏年が2回来ることは計算上ありえない。平年2回の閏年2回だと−11−11+19+19で、正の値になってしまい、陰暦が陽暦を超えてしまうからである。
さて、月齢を戻していくと、12月4日で0.8となる。4日の時点では既に朔になった後なので、朔を迎えるのは12月3日である。この日の0時に月齢は29.3となり、日中に朔を迎える。従って400年12月3日がユーマ8080年の年始である。
ではこの年の見かけ上の冬至はいつであったろうか。この時代は既にユーマの一族の時代であり、カコの時代である。神と違って既に宇宙空間に人は飛んでいけなくなった時代である。また、科学技術はアレイユに比べてまるで進化していない。そこで当時の冬至は南回帰線から見て12時に太陽が天頂を通過する日で求められたことになる。そしてその日は西暦でいうと400年12月18日である。ユーマ8080年の年始はグレゴリオでいう12月3日だから、この年の冬至をユーマ暦にするとユーマ8080年1月16日に当たる。
ユーマ暦は冬至を基準点とするため、イムル暦に移行する際に12月3日を以って移行してしまうと、ユーマ暦最後の冬至がユーマ暦に含まれなくなってしまう。もともと太陰太陽暦は冬至から見て毎年11日ほど足りなくなるのを補っていくので、1月中に冬至を迎えることが多かった。もし1月1日にイムル暦に移行した場合、8080年の冬至がなかったような錯覚を覚える。そこでユーマ暦に最後の冬至を与えるために、ユーマ8080年1月16日を含んだ月、つまりこの年の1月をユーマ暦最後の月とした。そしてこの冬至が終わり、月が次の朔になった時点を以って完全に太陰太陽暦であるユーマ暦を終え、同時にイムル暦を始めることとした。さて、では西暦400年12月3日で朔を迎えた月は、いつ次の朔になるだろうか?アシェルフィから観測すると、西暦401年の1月1日である。1月1日に28.8で、1月2日に0.1となる。1月1日の20時30分ごろにちょうど新月になるため、朔になる日は1月1日である。よってイムルはこの日を以ってイムル暦の紀元と定めた。すなわち西暦401年1月1日がイムル0年1月1日となる。
ところがイムル暦の運用をユーマ8080年に認可して公布した英雄アルシェが、その発表演説において「本日を以ってイムル1年1月1日とする」と国民の前で発言してしまった。セイネルスと言わなければ1ばかり並ぶ数であるというのと、物はふつう1から数えるものだという常識と、実際に世紀の場合は1から数えることなどが原因で、アルシェは年号も1年から始まるものだと誤解していた。大統領演説に相当する発言であったため、イムルは主君の恥を晒すわけにはいかず、イムル暦を1年から始めることにした。従って、唯一歴史上イムル暦のみが0年を持たないことになり、西暦401年1月1日がイムル1年1月1日となった。後にイムルは便宜上この紀元から366日(イムル0年は閏年なので)戻した日付をイムル0年の1月1日とした。従って、西暦400年1月1日がイムル0年1月1日に当たる。
<アルディアとの関連>
アティーリの中でカコとアルディアは現実に基づいている。中でもアルディアは情報が豊富で新しく、具体的な日付の分かる出来事が元になっている。簡単にいえば、1900年代後半のアシェットの歴史が元になっているので、できればイムル暦でも同じ日付になってほしい。ところが異世界なのにどちらの暦でも年始が1月1日になることなど到底ありえない。そう思ってメル20年までずっとイムル暦の具体的な内容は決められておらず、なんとなく冬至を紀元とすると定められていた。
ところがよくよく天体を観測してみると、ちょうど401年の1月1日にアシェルフィで朔になる(眼では見えない)。ユーマ暦が太陰太陽暦だったと決まったので、これと合わせれば、地球と同じく1月1日を紀元とする暦を作れるのではないかと考えた。そこでイムル1年の元旦を地球の西暦401年の元旦に合わせた。もっとも、このころ地球はグレゴリオ暦でないので、400年代のことだけいえばまるで役に立たない。
ところが実際上記アルディアに使うのは1900年代の話だけである。1981年にセレンが生まれ、84年にリディアが生まれたというような、主に1900年代後半に使えればそれでよい。そして1900年代後半は地球もグレゴリオ暦である。そう計算していくと西暦1984年はイムル1584年になる。
しかし1月1日が同じでも閏年の来るタイミングが違うのでずれが生じるのではないかと思うだろう。だがずれはない。なぜならグレゴリオ暦の計算だと4年に一度閏年があり、100年に一度閏年がなく、400年に一度閏年があるから、きっかり西暦と400年ずれているイムル暦に閏年のずれはない。イムル暦を400年ずらしたのは2003年ごろのセレンの知恵だが、こんなところで役に立つとは思わなかった。当時はイムル暦は冬至スタートだったので、400年のずれで閏年の差を解消しても大した意味はないと考えていたからだ。
さて、というわけで今後アルディアを書く際に非常に便利になった。リディアは7月19日生まれになるし、ディアセルも7月19日ごろでなくズバリ19日といえるようになった。
なお、イムル1600年は閏年でないが、西暦2000年は閏年なので、2000年以降はずれが生じる。しかし現実のアシェットでは2000年を過ぎたころから徐々にメル暦を使い始めていたため、残っている記録はメル暦で記されていることが多い。なのでまったく問題がない。
1月1日がちょうど401年で朔になったのはセレンが操作できることではないからまったくの奇跡であるが、つくづくセレンは天文に恵まれていると思う。メル暦で1月が28日なのも使徒が偶然28人だったからで、27だったら一週間が7にならないし、1年のあまりも大きい。29でも同様だ。28は奇跡的だ。4週あって1週が7日で、13ヶ月で364日になってミュシェットが1日で済む。
もっと奇跡だと思ったのは天文のところで以前述べたとおり、1988年11月30日の0時にアシェルフィでアルデバランが南中する件だ。あれも極めて奇跡的である。そして今回のイムル−グレゴリオの紀元重複である。奇跡がここまで連続することがあるだろうか。しかしメルの誕生日も使徒の数も401年で朔になることもセレンがどうにかできることではない。