掲示板で魚楠さんからこんな質問があった。

人工言語で次の A, B どちらが好ましい?あるいはどちらがマシ?

A 文法はシンプルで入りやすいが最小対語が多く紛らわしく間違えやすい。
B 文法は複雑で敷居が高いが運用では誤解が生じにくい。

A はアルカのn対語やエスペラントの -is, -as, -os のようなもの。
B は具体例が思い付かないので作例すると:
・過去形は接尾辞、未来形は接頭辞で表す。
・人称語尾は二音節以上で母音も子音も区別しやすい。
・しかし屈折を多数記憶する必要があり、語形が冗長になりがち。



言語を評価する基準はいくつかあるが、覚えやすさ・使いやすさ・表現力は基準として含まれるだろう。
このうち最も重要なものは表現力だと考える。言語の本質は表現ツールだからである。
覚えやすさや使いやすさはとっつきやすさとして重要だが、言語の本質に関わるものではない。

もちろん覚えやすいもののほうが良いが、覚えやすい言語はしばしば柔軟な表現を阻害する。
制アルカのn対語がその例である。n対語は聞き間違えが酷かったので、使いやすさすら持っていない。
新生のメルテーブルは聞き違いがないのでn対より使いやすいが、n対より覚えづらい。
現実的にはメルテーブルが一番バランスが取れているだろう。

とはいえ、新生はメルテーブルをあまり使わない。
「重い」は古sornのdadasから来ており、dadという。
メルテーブルに乗せれば「軽い」はgigになるだろう。
しかし古silfがあるので、我々はどうしてもsilfを自然と感じてしまう。
gigではいかにも作りましたという機械的な感じがする。

これは古アルカから関わってきた人間だからこそ感じる自然さである。
表現力は確かにあるだろうし、自然言語らしさもある。
しかし覚えやすさはない。

セレンは新生が最善とは思っていない。
むしろ中途半端で、かつ複雑すぎると思っている。

複雑な原因は3つ。
ひとつは歴史が長いこと。同じ意味を表す語根が複数あったりする。

また、ソーン側の語根だとまったく別物になるので、余計複雑になる。
たとえばlejestiと見て「あぁ、紫の何かだな」と思うのは相当な知識がいる。
アルシェで紫をalhooraといっていたのを、ソーンではlejemmeといっていた。ちなみに新生では後者を採用している。
hooraの語根も残っており、赤をharというのはここから来ている。そういう理由で非常にややこしい。

ひとつは架空の世界の言語であると同時に地球で自分たちが実用するために作られていること。
これによって語源は1語に2つ必要になる。

神話上の古アルカにあるはずのない「ハッカー」のような単語が現実の古アルカには存在する。
これは当然矛盾である。これを神話的にどう説明するかがややこしい。

最後のひとつは音にこだわりすぎること。
形態素をそのまま繋ぐと好みの音にならないということで、複合語をしばしば使わない。
fatima神はfutoimaだと複合語で覚えやすいが、音が格好悪いのでfatimaになっている。
処刑人はadisavelantとすれば複合語なので覚えやすいが、冗長なのでadisantとするなど。
後者は効率の問題なのでまだしも、前者は美観の問題である。これにより、覚えづらくなっている。

・展望

思うに、アルカのような言語はもっと簡単に作れるのではないか。
まず、歴史が長くならないよう、一気にざっと作る。
最初からPCを使い、言語論などで述べたノウハウを活かしてスピーディに作業する。
また、作業は一人でやる。意見交換している時間がタイムロスになるため。

あと、始めから地球での使用を考えない。
完全にファンタジー仕様にする。
こうすると地球で自分たちが使うからというしがらみがなくなり、その分早く作れる。

そして、文化を創りこまない。
文化を創りこむほど万人受けしなくなり、覚えにくく使いにくくなる。
アルカは時計もアルミヴァを覚えないといけないし、星座も魔物を覚えなければならない。
基本語にまで神の名前が入り込んでいる。言語単品で覚えることができない。

正直アルカはやりすぎである。
ただ、人工言語という存在の限界に挑戦するという意味では、アルカのスタンスもありかもしれない。