最近、新生人工言語論に疑問符が湧いた。
文化は確かに言語に影響を与えるが、買い物やビジネスや日常生活をする分には必要ないのではないか。
別に文化知らなくても買い付けくらいできるもんなぁ。

世間が人工言語に求めてる「共通語」の度合いが「まぁまぁ意思疎通できるレベル」であるなら、別に文化はいらないんじゃないかな。
エスペラントでまったく問題ないと思う。
ピジン英語でも同様。むしろ人口比でいくとこちらのほうがデファクトスタンダードかもしれない。

文化を細かく設定する言語というのはあってもいいと思う。世界が深まるから。
しかし、すべての人工言語がそうである必要はないのではないか。
むしろ、普及を目指すという場合には、文化などないほうがいいのではないか。

アルカもアンティスが細かく決まっていくたび、世界が広くなってるのに読者は狭くなっている気がする。
設定が具体化するほど、読者層を狭めている。
例えば宇宙が好きでガンダムが好きでという人にとって、宇宙戦争のないアンティスは興味が持てないだろう。
本当に個人芸術だなぁと思ってきた。

文化はそこまで必要ないなと思ってきたが、語法は必要だと思う。
語法をしっかり定めている人工言語は見られない。
文化は漂白したりグローバライズできるが、語法はそうはいかない。
純粋に言語的な問題だから、きちんと決めないと誤解する。


しかし普及型にとって語法って難しいよね。エスペラントとか。
あまり西洋チックな語法にしても煙たがられるし。
かといってユニバーサルな語法って言語学的に見て多分ないだろうし。

ユニバーサルな語法を作るのって面白いかもしれないね。
シソーラスでウェブスターのが非常に面白いのだけど、語法もこういう風にヴィジュアル化できないかな。
そうするだけで随分語法分析が進むと思うのだけど。
http://www.visualthesaurus.com/