さて、アルディアでアシェットは政治の一環としてアルカを広めたわけだ。
神よりも強い力と経済力と権力を持てば、世界中に散乱している言語の中から自分たちの言語を国際語にしようという考えにもなるだろう。
国際語はアシェットにとって世界征服でもあるが、それがあったほうが世の中便利だろうなという考えもあるので、利益は国民に還元される。

ただ、無理に押し付けたらテームスを倒した後に国粋主義が起きて民族語に回帰するだろう。
イェフダーみたいのが現れるのは間違いない。
だから恐らくアシェットは権力にものをいわせるのではなく、学んだほうが得だと思わせるやり方で広めたはずだ。
具体的にどのようなアドバンテージを設けただろうか考えてみた。

1:魔法のライブラリをアルカで作る

魔法はアプリケーションのようなものだ。言語で紡ぐ。
言語にはアルバレンとかフィルヴェーユとか、色々ある。PerlとかC#とかJAVAがあるようなものだ。
同じアプリを作るのでも、動作が軽いとか、安定性があるとか、より早く書けるとか、分かりやすいとか、色々言語ごとの違いがある。

魔法も同じだ。何語で紡ぐかによって、早く唱えられるとか、消費virが少ないとか、威力が強いとか、持続時間が長いなどといった違いが出る。
最初の魔法はすべてフィルヴェーユで書かれたが、その後リュディア語などが出てくる。
リュディア人にとっていちいち魔法だけ古語で唱えるのは負担だ。当時は魔法が日常的なものだったので、負担はなおさらだ。
そこでリュディア人はフィルヴェーユ語で書かれた魔法をリュディア語に訳す。

訳したとき、PerlをRubyで書くようなものだから、言語差によって多少性質が変わる。
魔法によっては訳したらアプリとして機能しなくなるものもあるだろう。
例えばBASICは正規表現の処理ができないので、Perlで書かれた正規表現の処理をそのままBASICに訳すことはできない。
対応する訳語、すなわち対応する予約語がないからだ。結果、同じ機能は持たせられないか、持たせられても冗長ということになる。

魔法の翻訳も同じ問題が起こる。リュディア語で書いたら魔法として発動しなくなるという例があるはずだ。
魔法として成り立たせるためにはいやに冗長な呪文になり、まったく非効率的になるものもあるはずだ。
恐らくこのようなものが「翻訳しきれないので古語のまま使う」として残り、すなわち古代魔法となったのではないだろうか。

また、インタープリタのBASICはコンパイルするCよりも動作が遅い。Cは最初のコンパイルに負担がかかるが、あとは早い。
これを魔法に置き換えれば、「フィルヴェーユだと連続で魔法を放つのは苦手だが、初弾は早く出せる」とか「アルバレンは初弾が遅いが連続は効く」といった効果の違いになるだろう。

さて、リュディアの後ルカリア語やアルバレンになってもまったく同じような魔法の翻訳作業が必要になる。
個々の民族は自分達の日常言語で魔法を綴れるよう、常に翻訳をし、魔法のライブラリを構築してきたことになる。
さて、アルディアのアルバザード人にとって、ほとんどの魔法はアルバレンに翻訳され、ライブラリ化されていた。
翻訳したら機能しないものが古代魔法として登録され、恐らく最も神聖かつ古いフィルヴェーユで記されたろう。
これがミルフの使う古代魔法ということになる。

で、リディアというのは世界一の魔導師だ。
プログラマのすごいのをウィザードというが、まさに彼女は呪文を操るプロだった。
彼女はアルバレンよりも魔法を効率よく使うための呪文を考案した。
そしてその呪文を実現するための言語がアルカだった。それでセレンとともにアルカを作った。

アルカで綴ればアルバレンよりも早く強い魔法が撃てる。
しかしアルカはアルバレンを元にしているので、古代魔法のラインナップは変わらない。
だから古代魔法は相変わらず強力で、これにて神の面子も立つ。

一方、当世の魔導師にとってはアルカのライブラリのほうが便利になる。
従って、リディアはアルカ普及のため、アルカで魔法のライブラリを作り、公開したと考えられる。

2:テレビを普及させる

しかし、これでは魔導師にしか広まらないし、呪文に使う語彙しか広まらない。
ほかにも普及には手が必要だ。
そこでセレンはリュウに頼んでアンシャンテを世界中に普及させた。
銀鏡を月光に晒すと映像が映る通信機器で、魔動式だ。
雲がある日は通信感度が弱るため、送信側は常に雲のない高山にて撮影する。
送信側がクリアに情報を流せば、受信側が曇りでも映像はそこそこ映る。
撮影地にはヒュートが選ばれた。ヒュートはもともと首都が高山にあるから、都市から撮影地までが近く、撮影に便利だ。
ワッカでは田舎すぎてダメだ。それにリュウの故郷なので王国からの援助も期待できる。

アンシャンテをアシェットの経済力をもって大量生産し、世界中に流布。
そして悪魔ベルトがやったように通信環境を整える。
さらにここで捻りを加える。民間人が意欲的に見るよう、世界初のテレビ番組をプロデュース。
娯楽番組や演劇を生放送した。娯楽のない時代なので、世界中がテレビに釘付けになった。
そしてむろん、これをアルカで放送するのだ。

しかし、アルカが分からなければ娯楽は楽しめない。そこで最初はニュースを流す。
テームスとの戦況を報じる。これで知的階層から取り込み、アルカを学ばせる。
その後徐々に時間をかけて中産階級を教育し、娯楽番組で意欲的に学ばせる。
これしか娯楽のない時代なら、人間は貪欲にアルカを学ぶ。
スポンサーはアシェットなので、すべてアルカで報じる。

3:就業資格としてのうまみを持たせる

同時に、官僚試験をアルカ必須にする。
官僚を始め、公務員試験にアルカを必須とする。
ここまでやれば自然と大企業はアルカをできる人材を必須技能として募集する。
大企業がやれば数年後に中小も従う。大企業から受注を受けるのに営業がアルカをできないと仕事を取ってこれないからだ。
中小の営業を切り崩せば、あとは徐々に社内に浸透させていく。

4:受験科目にし、アルナ大など、高学歴への切符にする

その傍ら、学校教育ではアルカを教える。アルナ大のような高学歴ではアルカですべて授業が行われる。
アルナ大を出れば人生が約束されるので、これは大きなモチベーションになる。
アンシャンテの娯楽番組は続行し、漫画や小説をアルカで発行。
3世代ほどかけてアルカを母語にしていく。


これだけやっておけばアルカは浸透し、アシェットが死んだ後でもすっかりその国民たちの捨てきれぬ母語になっていることだろう。
わざわざここまで来て便利な国際共通語を捨てる理由はない。
既に共通語がある世界で共通語を捨てたら、その国だけ国際競争力を失うからだ。
多額の無駄な翻訳費が生じ、民族語の再教育費もかかる。各国から貿易が忌避(要するに面倒がられ)され、無駄に経済が傾くだけだ。
だからここまで来ればもう民族語に回帰するメリットはないだろう。せいぜい方言化どまりだ。

いずれにせよ、「学べ。じゃないとお前ら死ぬぞ」という強硬手段は使いたくない。
そういうやり方は後で必ず裏切られる。