概念にはそれを象徴する象徴記号があり、これをleihaという。
leihaは三次元体であるため、通常どの視点から見るかによって形が変わる。
例えばピラミッドを上から見れば四角に、前から見れば三角に見える。これと同じく、leihaは視点によって見え方が異なる。
この異なった見え方をharmel(概念面)という。harmelはひとつのleihaに複数存在する。
まれに完全球のようなleihaだと、harmelがひとつ(=円形)しかないものがある。
leihaは三次元体であるため、通常どの視点から見るかによって形が変わる。
例えばピラミッドを上から見れば四角に、前から見れば三角に見える。これと同じく、leihaは視点によって見え方が異なる。
この異なった見え方をharmel(概念面)という。harmelはひとつのleihaに複数存在する。
まれに完全球のようなleihaだと、harmelがひとつ(=円形)しかないものがある。
leihaは三次元体であるが、これを二次元で表記したものがhacma(概念記号=幻字)である。
leihaを置換したものなので、ひとつのleihaについて正当なものはひとつしかない。
一方、各言語でその文字を何と読むかは言語ごとに異なっている。これは言語がharmelを音に変換するためである。
従って、hacmaの読みは言語の数だけある。もちろん言語によって同じharmelを使うものもある。
leihaを置換したものなので、ひとつのleihaについて正当なものはひとつしかない。
一方、各言語でその文字を何と読むかは言語ごとに異なっている。これは言語がharmelを音に変換するためである。
従って、hacmaの読みは言語の数だけある。もちろん言語によって同じharmelを使うものもある。
例えば「嬉しい」という感情を表す幻字はひとつしかないが、読み方は言語によって異なる。
フィルヴェーユ語ではnahyuと読み、アルバレン(=古アルバザード語)ではniluuと読む。これは別々のharmelを持つからである。
なお、古ルカリア語ではnilと読むが、これはアルバレンとharmelが異なるのではなく、単なる言語の変化に過ぎない。
フィルヴェーユ語ではnahyuと読み、アルバレン(=古アルバザード語)ではniluuと読む。これは別々のharmelを持つからである。
なお、古ルカリア語ではnilと読むが、これはアルバレンとharmelが異なるのではなく、単なる言語の変化に過ぎない。
さて、魔法についてであるが、レイハの使い方にはバリエーションがある。
マレットは光などを用いて魔法陣などの中にレイハを幻字として描き込む。
シフェルは魔法陣という形で幻字を描かないが、呪文を唱えると使用したレイハの幻字が浮き上がり、regalとなる。
ただしlortやvelgaltなどではしばしばレガルが現れず、レイハが実体化されない。
また、同じマレットでもdixentはレイハの実体化をしない。
マレットは光などを用いて魔法陣などの中にレイハを幻字として描き込む。
シフェルは魔法陣という形で幻字を描かないが、呪文を唱えると使用したレイハの幻字が浮き上がり、regalとなる。
ただしlortやvelgaltなどではしばしばレガルが現れず、レイハが実体化されない。
また、同じマレットでもdixentはレイハの実体化をしない。
レイハにアクセスする魔法の利点は、同じ文字体系を使ってX語でもY語でも魔法が使えることである。
X語で書かれた魔法でも、Y語の話者が概ね意味を理解できるという点で優れている。
しかし厳密にいえばX語とY語で幻字の意味が違ったり形が違ったりすることがあるので注意が要る。
X語で書かれた魔法でも、Y語の話者が概ね意味を理解できるという点で優れている。
しかし厳密にいえばX語とY語で幻字の意味が違ったり形が違ったりすることがあるので注意が要る。
欠点は、ある魔法が別の言語に翻訳できない可能性がある点である。
例えばここに魔法Aがあるとする。これはX語で書かれているとする。
AはX語のharmelで成り立っているため、それをY語に翻訳しただけでは、harmelが異なるため、魔法が発動しない恐れがある。
また、副作用や思わぬ事故を招く可能性があり、一般に危険である。
例えばここに魔法Aがあるとする。これはX語で書かれているとする。
AはX語のharmelで成り立っているため、それをY語に翻訳しただけでは、harmelが異なるため、魔法が発動しない恐れがある。
また、副作用や思わぬ事故を招く可能性があり、一般に危険である。
同じピラミッドでも見方によって三角や四角に見え、まったく異なるものに見える。
三角の場合尖っていて痛そうなイメージがあるが、四角の場合はそうではない。
にもかかわらずこれらを見て同じイメージを持てというのは無理がある。
実はまったく同じピラミッドなのに、座れと言われたら誰もが四角のほうを選ぶだろう。
喩えるなら魔法もそれに近い。Y語のharmelでは魔法として成立しない恐れがある。
三角の場合尖っていて痛そうなイメージがあるが、四角の場合はそうではない。
にもかかわらずこれらを見て同じイメージを持てというのは無理がある。
実はまったく同じピラミッドなのに、座れと言われたら誰もが四角のほうを選ぶだろう。
喩えるなら魔法もそれに近い。Y語のharmelでは魔法として成立しない恐れがある。
従って、古来より魔導師たちは新たな魔法を開発するたび、それの別言語版を作ってきた。
特に戦時中は敵の呪文をいかに自分の言語に翻訳した。同時に、敵性語でも唱えられるマルチリンガルな魔導師の育成に注力した。
呪文はただ決まり文句を覚えればよいだけではない。魔法AをX→Yに逐次翻訳してもたいてい発動しないため、発動するように文章を変えねばならないためである。
さらに発動したとしても、より効率のよい呪文を探して研鑽を続ける必要がある。それが主な魔導師の仕事だったため、語学の習得や詩吟の能力は必須技能であった。
しかし魔導師にとって語学の学習などで時間を割かれると、肝心の魔法の練習が疎かになってしまう。そこで呪文を専門に研究する科ができた。
かといって前線の魔導師も呪文を自分で最低限は構築したり理解したりしなければならなかったため、結局は語学などに時間を割かれることとなった。
特に戦時中は敵の呪文をいかに自分の言語に翻訳した。同時に、敵性語でも唱えられるマルチリンガルな魔導師の育成に注力した。
呪文はただ決まり文句を覚えればよいだけではない。魔法AをX→Yに逐次翻訳してもたいてい発動しないため、発動するように文章を変えねばならないためである。
さらに発動したとしても、より効率のよい呪文を探して研鑽を続ける必要がある。それが主な魔導師の仕事だったため、語学の習得や詩吟の能力は必須技能であった。
しかし魔導師にとって語学の学習などで時間を割かれると、肝心の魔法の練習が疎かになってしまう。そこで呪文を専門に研究する科ができた。
かといって前線の魔導師も呪文を自分で最低限は構築したり理解したりしなければならなかったため、結局は語学などに時間を割かれることとなった。
この混乱したバベルを積みなおしたのがリディア=ルティアである。
リディアは概念が持つ本来の名前、すなわちeeste(真名)に注目した。
エーステならば音の問題なので、レイハにアクセスせずとも概念を直示することができる。
レイハを通さないということは、レイハの言語ごとの差異であるharmelを通す必要もない。
リディアは概念が持つ本来の名前、すなわちeeste(真名)に注目した。
エーステならば音の問題なので、レイハにアクセスせずとも概念を直示することができる。
レイハを通さないということは、レイハの言語ごとの差異であるharmelを通す必要もない。
この利点は、どの言語の魔法であれ翻訳可能であるという点である。
レイハにアクセスする代わりにエーステにアクセスするためである。
逆に欠点は、幻字を使う魔法では言語が異なっても文字を見てある程度意味が推測できたのに、それができなくなる点である。
例えば日本人が中国に行って筆談できるのは漢字のおかげだが、あれをアルファベットにしたら途端に通じなくなるのと同じである。
レイハにアクセスする代わりにエーステにアクセスするためである。
逆に欠点は、幻字を使う魔法では言語が異なっても文字を見てある程度意味が推測できたのに、それができなくなる点である。
例えば日本人が中国に行って筆談できるのは漢字のおかげだが、あれをアルファベットにしたら途端に通じなくなるのと同じである。
また、ほかにも欠点はあった。エーステはレイハに比べ、早い期間で徐々に変化してしまうことである。
自然言語において文字より音のほうが変化が早いのに似た光景である。
そのため神々はフィルヴェーユでエーステを元に魔法を作らなかった。
しかしそれはあくまで神の時間感覚であり、一般にエーステの変化する速度は数千万年という長いスパンである。
自然言語において文字より音のほうが変化が早いのに似た光景である。
そのため神々はフィルヴェーユでエーステを元に魔法を作らなかった。
しかしそれはあくまで神の時間感覚であり、一般にエーステの変化する速度は数千万年という長いスパンである。
なお、古代ルカリア人など、人類がレイハを使い続けたのは、魔法を最初に作った神々がそうしていたことの名残である。
多少不合理と分かっていても合理的な面があってしかも伝統的であれば、歴史的にはたいてい惰性が勝る。
その状況を変えたという点でリディアの行為は革命だった。
多少不合理と分かっていても合理的な面があってしかも伝統的であれば、歴史的にはたいてい惰性が勝る。
その状況を変えたという点でリディアの行為は革命だった。
リディアはエーステの長所に目を付け、人類と神々が作ったすべての魔法を共通言語に翻訳しようと試みた。
しかし彼女には言語を作るセンスまではなかったため、セレンが協力してこれを作成。
アシェット創設後に共通語として作っていた制アルカがエンナによって棄却された時期とリディアの発案の時期が重なり、魔法の言語としてエーステを元に新しく言語を作ることになった。
それがアトラスにおける人工言語アルカである。
アルディアの時代のエーステを反映しつつ、アシェットならびにその賛同者に分かりやすい言語を目指し、当初は作られた。
しかしやがてこれがこの世界の国際語へと発展していくことになるのである。
しかし彼女には言語を作るセンスまではなかったため、セレンが協力してこれを作成。
アシェット創設後に共通語として作っていた制アルカがエンナによって棄却された時期とリディアの発案の時期が重なり、魔法の言語としてエーステを元に新しく言語を作ることになった。
それがアトラスにおける人工言語アルカである。
アルディアの時代のエーステを反映しつつ、アシェットならびにその賛同者に分かりやすい言語を目指し、当初は作られた。
しかしやがてこれがこの世界の国際語へと発展していくことになるのである。
人間のリディアからすればエーステの変化速度は気になるものではないため、今までのレイハ魔法の文化を棄却することにためらいはなかった。
こうしてリディアはエーステの変化を測りながらセレンとアルカを作り、自身は魔法の膨大なライブラリを作成した。
リディアの魔法は非常に便利なものだったが、しばしばレイハにアクセスした昔ながらの魔法のほうが強力という場合もあった。
つまり、当時のアルバレンで書かれた魔法や、当時から見て古代魔法と呼ばれたアルバレン以前の言語で書かれた魔法のほうが強いということもあった。
それゆえ、魔導師の多くはレイハも用い続けたが、時間が経つにつれ徐々にアルカがデファクトスタンダードとなっていった。
リディアのライブラリはアルカが国際語になる要因のひとつとなった。
こうしてリディアはエーステの変化を測りながらセレンとアルカを作り、自身は魔法の膨大なライブラリを作成した。
リディアの魔法は非常に便利なものだったが、しばしばレイハにアクセスした昔ながらの魔法のほうが強力という場合もあった。
つまり、当時のアルバレンで書かれた魔法や、当時から見て古代魔法と呼ばれたアルバレン以前の言語で書かれた魔法のほうが強いということもあった。
それゆえ、魔導師の多くはレイハも用い続けたが、時間が経つにつれ徐々にアルカがデファクトスタンダードとなっていった。
リディアのライブラリはアルカが国際語になる要因のひとつとなった。