25歳になったリディアを見て、自分は彼女についてどう思っているかと考えてみた。
もしこの人が年を取っても、自分にとっては可愛く魅力的だろう、と思った。
これは、彼女には感じなかったことだ。

もう女の人はこの子だけでいいと思った。あと、とても大切なメルを含めて。
色々性格に難儀な点はあるが、とても可愛い声で話し、優しい匂いで髪を掻き揚げるのだ。
声、というか、言い方かもしれない。不思議ちゃん、というのか。

昔からそうだ。ふとした会話で、とても言い方が愛らしい。
「そうなの、よ?」とか、「みたいだね、ふふ。」とか。
印象的な、自信のなさげな、からかうような話し方。7歳のころから変わっていない。
まぁ7歳のころの日本語はひどかったが。
もしかしたら仕草や話し方が自分にとっては一番の魅力なのかもしれない。

そういえば、池であっちの彼女を最初に良いと思ったときも、この子に口調が似ていたからだった。
同じような不思議な口調で。
そうか。やっぱり言語なんだ。言葉と、あと、匂い。それで惚れるらしい。
一番は言葉遣い。やはり言葉に知性が現れるからだろう。人工言語を作るだけのことはある。

そんな彼女が、子供を持てば変わるかと思ったが、変わらない。
いつまでもべったりで泣き虫で不安症で夢見がちだ。
子供より、俺のことが世界の中心らしい。可愛いやつだ。

世界がほしいのだ、と彼女は言う。
そうか、世界がほしいのか、と思った。

自分の人生をかけるだけの価値があることだと思った。
自分の人生をかけるだけの価値がある人だと思った。
では、自分は具体的に何をしてあげられるだろうか。
世界がほしいというのだ。世界を創ってあげればいい。
でも、世界は彼女が演出する。だがそこに欠けるものがある。言語だ。

そこで19日に伝えた。
「言葉を創ってやる。diaklelを創ってやる。
 幻日ではない。お前の世界に存在する本物の言葉を。
 20年ほどかかるが、俺を好きでいられるか?」

歯の浮くような話だと思ったが、
「そしたら私、45よ?45歳が魔法を夢見れるの?」と言う。
なぜ女は現実的なのだろう。

「先生が40になる。
 ルティア家の女は魔女みたいに若い。
 魔法を使うから魔女、だろ」
と言ったら笑っていた。

「いいんだよ、俺はお前がリディアだから好きなんだし」
とは流石に言えずに、流してしまった。

翌朝、ほとんど寝てない状態を維持して目覚めて散歩して、考えた。
「ううむ。家を買ってやるというのより大変な約束をしてしまったな」

20年もかけていたら普及はなおざりにならざるをえない。
絵や音楽の入った面白いコンテンツを創る仲間も見つけられないだろう。
ただ粛々と文字を打っていく孤独な作業になる。
もちろんコンテンツも創っていくが、幻幻をメインでやっていきたいと思う。

完成させるには20年どころではなかろう。そもそも1語あたりの記述が膨大すぎる。
逆に言えば、これで死ぬまで「何をしよう」と考えなくてすむ。
俺の人生、何をすべきかはもう分かっているのだから。


早速辞書学に取り掛かることにしたが、中々時間が取れない。
今回は幻日のようなお遊び半分の辞書ではない。本気で国定辞書として創らねばならない。
何よりもこの手の作業は最初の企画が肝心だ。

早速研究社の英語語源辞典と三省堂の言語学大辞典とOXFORDのLinguisticsに当たった。
また、家にはないのですぐには当たれなかったが、OEDにも当たった。
結果、国定辞書ならOEDが一番理想に近いと分かった。

OEDは幻日のときも参考にしているが、今回は国定辞書にするため、よりOEDに近くなるだろう。
辞書学的には、記述的辞書という分類になろう。
これを彼女に捧げよう。自分にできる愛情表現は研究することだ。

リディアなら、最期まで一緒にいる気がする。
もし事故などで突発的に死なない限り、俺が最期に呼ぶ名前はリディアだと思う。
それは子供のころから決めていたことだ。