日本語の不定量の時間表現を集めてみる。
いくつも出るだろうが、大体――

1:すぐ(1〜5分)
2:ちょっとしたら(5〜30分)
3:あとで(30〜2,3時間)
4:こんど(2,3日〜数カ月)
5:いつか(1年〜∞)

――の5段階で使い分けているように思われる。
括弧内の長さは目安で、ネイティブごとに一致を見ないだろう。
だからといって「あとで電話するね」の「あとで」が翌日と解釈する日本人もいまい。
おおむね括弧内が目安である。

むしろ重要なのは目安の正しさではなく(それは日本語論なので)、不定量が網羅的でないということだ。
例えば、2,3時間以上24時間未満という不定量がない。
また、数カ月から1年という不定量もない。

網羅的でない上に、幅も広い。
1〜5分ならともかく、2,3日から数カ月ではだいぶ広い。
1分から30分までは3段階もあるのに、30分を超えると急に大雑把になる。

これらが日本語の不定量の特徴である。
なお、英語でやっても同じ結果になる。

アルカは人工言語なので、当初網羅的でないのを嫌い、mes+単位でどんな不定量も表せるようにしたが、不自然である。

自然言語を分析すると、このように現在に近いほうが細分化され、未来に行くほど大雑把になる。また、網羅的でもない。
現在に近いほうが細分化されるのは人間の視界に近い。目の前の瓶に書いてある文字は読めるが、遠くの山は大雑把にしか見えない。
人間の不定量の感覚はこのように「時間の遠近法」を持っている。

これは過去にも言える。「いましがた」「さっき」「先日」「こないだ」「むかし」を見るとわかるとおり、現在に近いほうが細分化されている。

なぜ人間の言語には「時間の遠近法」があるのか。
未来については、現在から遠いほど、予測が付かないからである。
10分後のスケジュールはほぼ確定事項で、隕石が降ってくるような突然の事態でもないかぎり変わらない。

だが1年後となると話は違う。きちんとスケジュールが決められない。
歯医者の予約みたいなもので、来週なら土曜か日曜のどちらが空いてるか受付嬢に伝えられるが、3カ月後の定期検診だとどうなるか自分でも分からない。

未来になればなるほど、スケジュールが不定になる。3カ月後の定期検診など、「中旬ごろにまた来ます」などのように大雑把に言うしか約束できない。
従って、そのあたりの不定量を示すときも、当然幅が広くなるというわけだ。

この理屈でいくと、過去はどうか。
過去は確定された歴史なので、未来と違って現在から離れるほど不確定ということはない。
だが不定量の表現は過去も未来も現在から遠のくほど大雑把になる。これはなぜか。

なぜなら、過去は現在から遠いほど、記憶が褪せるからである。
遠い過去のほうがいつだったか思い出せない。昨日か一昨日かという区別は重要だが、1年経てば1日の違いなどどうでもよくなる。
だから過去の不定量も現在から遠くなるほど、大雑把になる。
歴史とか行動の履歴という客観で考えず、実際に言語を使用する人間の認知を考えれば当然のことだ。

なお、不定量をしっかり決めている人工言語は少ない。
代名詞を定めない人工言語はないが、不定量を決めている言語は少ない。
言い換えれば、代名詞を決める前に不定量を決める人工言語は恐らく存在しない。

こう見ると、不定量のほうが代名詞より作成の順序的に高レベルな内容だということが分かる。
逆にいえば、不定量の表現の設定があるかないかで、人工言語の進化段階が推定できる。

アルカの不定量