後期制アルカでアスペクト論争が起こったきっかけを考えてみた。
いくつかあったと思うが、印象的なのはこれだ。

玲音の書でレインが去ったとき、田山花袋ばりに紫苑がレインの座っていた布団を嗅いでいた。
このとき、レインが座っていた状態をskin-enとしていた。
レインはいないけど、ぬくもりは残っているので、影響相ということである。

一方、skin-ekは尻が座面に着いた時点で、影響相はその後である。
ということは人が椅子に座っている段階もskin-enである。

従って、人が座っていてもいなくてもskin-enになってしまう。
これは問題だ。なにせ、かたや人がそこにいないのに、もう片方は人がいることになるからだ。

そこで「座っていた」をskin-enの影響相、「座っている」をskin-erの状態相とした。
これが制アルカだ。

だが新生ではこうなる。
「座っていた」は状態動詞skinofの影響相なので、skinofesになる。
「座っている」は行為動詞の影響相=状態動詞の経過相=skinesになる。
制アルカに比べてシンプルな構造で複雑なことが表せるようになった。

アスペクトの二重構造