前座1
僕は言語を言語でないものによく譬える。
譬えられればそれが正解と思っている。

前座2
僕はチョムスキーが嫌いだ。ピンカーはもっと嫌いだ。
言語機関も言語の本能もないと思っている。

脳には専門性がないと思っている。
強いて言うならこの処理は脳のこの辺りで行うのがよさそうだ、くらいにしか思っていない。
言語専門の機関などまして無い。

本題

人間の脳は怠惰だ。できるだけパターンを少なくし、負荷を減らそうとする。
有限少数なアクサン体系では、アクサンとチェスを比べている。
チェスで言えることがアクサンにも言えれば、恐らくそのアクサン理論は正しいと考えている。

なぜかというと、人間は「言語は言語」「チェスはチェス」「料理は料理」などという面倒な処理を嫌うからだ。
単元ごとに覚えてたらキリがないし、新しいものに対応するのが遅くなる。
「Aっぽい流れは全部Aで処理」という風に、単元ごとではなくワークフローごとに記憶しているに違いない。そのほうが処理が軽い。

そういう考えがあるから、言語を分析するときはいったん言語から離れることにしている。
関係ない分野に譬えてしっくり来れば、その仮定は合っていることが多いと経験的に知っている。