さて、アルカとエスペラントの違いは何かしら。


私から見ると両者はまったく対極にある言語です。
エスペラントは国際補助語として統合的な方向に向かい、より簡単な文法を目指し、文化の壁を崩し、知名度の高い言語から語彙を流入させます。
なるべく世界をひとつに繋ぐために、英語やフランス語など、メジャーな言語から作られています。


一方アルカの場合、アトラスという世界をどれだけリアルに作れるかに力点が置かれています。
言語はリアリズムの一環で、文化の一部に過ぎません。アルカは世界平和を目指すツールではなく、芸術作品として作られているんです。


だから文法はより自然言語に似せて適度に複雑になっていて、簡単さよりも表現力の豊かさを重視し、文化すらゼロから創造し、独自の語彙体系を持ちます。
エスペラントのdekstro(右)はラテン語から来ているので西洋語の知識がある人にはわかりやすいですが、アルカのmik(右)はまったく地球の言葉と関係ない語源から来ています。


そういう無語源のアプリオリ言語はうちの人も若い頃に考えていたわね。
概念に適当に音を当てはめていくやり方だと覚えられないし、語彙も作りきれないという結論に達したと思うけど。
それとも、mikにも語源があるのかしら?


mikというのはmirokkorから来ていて、「神の方向」を意味します。
私の世界では右が神の方向で、左が人の方向という考え方があります。
左はlankで、「人の方向」を意味するlankkorが語源です。
アルカには万単位の単語がありますが、そのすべてが語源を持ち、恣意的な語源を持つものは少ないです。


ちょっと待って。あの……恣意性が少ないって……。いや、レインお姉ちゃんは分かるよ、ネイティブのアルバザード人だから。
でもセレンさんたちは文化的に裏付けられた語源を持った単語をひとつひとつ覚えられないんじゃないかな。
そんな複雑なものを大人になってから実際に理解して操れるものなのかしら。


――と、思うでしょうけど、どっこい操れるのよw
ここ数年の付き合いのネットのアルカユーザーですら、セレンさんの書く内緒話や難しい話をアルカで読んでしまうわ。
読めるどころかセレンさんの誤植を指摘したり、文化的に矛盾のある記述を指摘したりするレベルにまで達しているわ。
さらにネットを離れれば、私と同じくらいの人が何人もいるの。


セレンさん曰く、アルカの特徴的なところは、ユーザーが作者より有能という点だそうです。
実際私が見ても、人材に恵まれていると感じます。


なるほど。
それにしても、1万以上の単語に語源を付しつつ文化的な裏付けを取りながら造語していくという作業は想像を絶するものがある。
ぜひトールキン氏とも茶会を催すべきと思う。


ただ、それはあくまでエスペラントとコンセプトが違うというだけの話です。
国際補助語を目指すには、エスペラントのやり方がもっともです。


ということは、アルカは国際補助語は目指さないのね?


うん、コンセプトが違うからね。
こうして公開しているのは、文化コンテンツを一緒に作ってくれる協力者を見つけるためよ。
既に複数人で作業しているものの、まだまだ仲間が足りないから。


んー……そういう人って集まるものなのかな。


ふつうは集まらないと作者さんも思ってたんだけどねw
でも私たちの顔をこうして書いたり、語学的な指摘をくれたり、史料をまとめたり、文化を作ったりする協力者がいるから、今のアルカがあるのよ。


なるほどね。
うん、アルカとエスペラントの違いはよく分かったよ。
拡大指向のエスペラントと、縮小指向のアルカだから、まったく違うタイプの人工言語になるんだね。


言い換えれば、外交的なエスペラントと、内向的なアルカ。
なにげに作者の気質を反映してたり……(;´∀`)


人工言語に興味のある人は、これら両方をやってみるのがよさそうね。
タイプが正反対なおかげで、どちらの視点でも見ることができるようになるわ。


私もやってみようかな。
とりあえずはじめてのアルカを読んでみるよ。
今日はお茶会にお招きいただき、ありがとうございました。

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